就労移行支援事業所ルーツ 川崎拠点リーダー
星野 一徳 ほしのかずのり(Twitter)
1995年生まれ、北海道出身。
高校2年生で原因不明の難病「潰瘍性大腸炎」を発症し、夢であったTV業界の仕事をあきらめる。
その経験から「難病や障害をもった人も夢を叶えられる社会」を目指し、就労移行支援事業所ルーツに入社。
インターンで川崎拠点の立ち上げを行い、新卒1年目でリーダーに就任。
「障害は個人の責任」「福祉事業でお金もうけをしてはいけない」
このような考えに疑問を抱き「障害という線引きのない社会をつくりたい」という思いで就労移行支援事業を展開する会社があります。
今回はそんな会社で働き、自身も潰瘍性大腸炎という原因不明の難病を持つ星野一徳さんにお話を伺いました。
現在は川崎拠点のリーダーとして活躍する星野さんですが、学生時代は潰瘍性大腸炎であることで、働くことに不安を感じていたといいます。
星野さんはどのようにして、「自分がやりたい仕事」に出会ったのでしょうか?
ぜひ最後までお読みください。
目次
潰瘍性大腸炎とは
ーーさっそくですが、潰瘍性大腸炎とはどのようなご病気なのでしょう?
原因が分からない難病のひとつで、実は安倍首相も潰瘍性大腸炎なんです。約1000人に1人が発症すると言われています。
症状は腸から出血すること、吐き気、発熱・・。ストレスで症状が悪化し、ひどくなると腸を摘出します。僕は摘出していませんが、1日に20回くらいトイレに行っていました。
潰瘍性大腸炎とは
大腸の粘膜(最も内側の層)にびらんや潰瘍ができる大腸の 炎症性疾患 。
特徴的な症状は、下血を伴うまたは伴わない下痢とよく起こる腹痛。
病変は直腸から連続的に、そして上行性(口側)に広がる性質があり、最大で直腸から結腸全体に拡がる。
(出典元|難病情報センター)
潰瘍性大腸炎の診断を受けて
ーー1000人に1人…意外と多いんですね!でもまだ認知度の低い難病だと思います。 潰瘍性大腸炎の診断を受けて、周囲の人には打ち明けたのでしょうか?
診断を受けた直後は打ち明けていました。発症したのは高校2年生、潰瘍性大腸炎と診断されたのは高校3年生でした。
症状が出てから診断を受けるまでの間は「トイレに行ったら血が出てた」と友達に笑って話していたので、そのまま「あれ難病だったんだよね」と打ち明けることができました。
ーー診断が出た後に出会った人にはどうしていましたか?
大学に入ってからは自分が潰瘍性大腸炎だと打ち明けていませんでした。怖くて言えなかったですね。
僕は北海道出身で、大学に通うために上京し、寮に入ったんです。当然体調を崩す日もありましたが、嘘をついたり濁したり。それが嫌で、ある時寮のみんなに「潰瘍性大腸炎という難病なんだ」と打ち明けたんです。そうしたら「言ってくれてありがとう」という反応が返ってきました。
この時「潰瘍性大腸炎である部分も含めて、はじめて全部の自分を受け入れてもらえた」と思いました。
それからうれしかったことがもう1つありました。僕が潰瘍性大腸炎だと打ち明けたことで、みんなも自分の病気のことを話してくれるようになったんです。
今までは「潰瘍性大腸炎である僕だけがつらい」と思い込んでいましたが、病気で苦しんでいる人は想像以上に多いと気が付きました。
ーー受け入れてもらったこの経験以降、「潰瘍性大腸炎だと打ち明けるのは怖い」という想いに変化はありましたか?
今は仲良くなる人には打ち明けるようにしています。今でも打ち明けるのは怖いですしためらいますが、それでも打ち明けるのには2つの理由があります。
1つは、寮生活の時のように体調を崩したときに嘘をついたり、濁すのが嫌だから。もう1つは、僕が打ち明けることが潰瘍性大腸炎で苦しんでいるほかの人のためになると思っているからです。
例えば、僕が難病のことを打ち明けた相手が、ほかの潰瘍性大腸炎の人と出会ったとします。そうしたらきっと、僕のことを思い出して心無い言葉は言わないと思うんです。
潰瘍性大腸炎で働くことの困難
ーー潰瘍性大腸炎になって、困難を感じたことはありますか?
潰瘍性大腸炎を発症した高校生の時、何回もトイレに行ったり学校を休んでしまうと「授業に行きたくないからさぼってるんだろ」と言われました。
貧血や発熱、トイレに1日何十回も行くのは、潰瘍性大腸炎の症状なんです。ですが、それを知らない人にはこういう心無い言葉も言われました。
それから、働くことに不安を感じていました。高校生の時、TV業界の仕事がしたくて「卒業したらTVの専門学校に入りたい」と思っていましたが、ちょうど進路を考える時期に潰瘍性大腸炎の診断が出たんです。
出血したりトイレに1日何十回も行く生活をしているうちに「潰瘍性大腸炎の僕が、本当にTV業界で働けるのか?」という不安がでてきました。
「体調を崩したらどうしよう」「企業に理解してもらえるのかな」
こういう不安がだんだん大きくなっていき、TV業界の夢は諦めることにしました。
不安を乗り越えた支え
ーーそうだったんですね…。諦めた後は大学に進学したんですか?
そうですね。TVの専門学校を諦めて浪人し、大学に行くことにしました。
ただ、潰瘍性大腸炎の症状はストレスで悪化するので浪人の時期は本当に大変でした。
星野さんは浪人の時、腸からの出血がひどく食べると吐いてしまったり、貧血で立てなくなっている。
親がおんぶして病院に連れて行き、そのまま3週間ほど入院した。
センター試験の1週間前に体調を崩して入院が必要になり「あれだけ勉強したのに、試験を受けられないのか」とさすがにショックでした。でも病院の先生も僕と同じように受験を受けられなかった経験があるらしく、センター試験を受けられるように調整してくれたんです。
浪人の時期は正直「自分が潰瘍性大腸炎でさえなければ」とほかの友人をうらやんでいました。でもそんな僕を支えてくれる人がたくさんいました。
家族は、本当はもっとお肉も食べたいはずなのに僕の食事制限に合わせてくれたり、家から約20キロ離れた病院にいつも車で連れて行ってくれました。友人は僕のことを知らない人まで誘って30人くらいのメッセージが入った色紙をくれました。
大学受験を乗り切ることができたのは、「自分って1人じゃないんだな」と思える支えがあったからです。
(左手前から2番目が星野さん)
潰瘍性大腸炎になったことがきっかけで見つけた仕事
ーー先ほど高校ではTV業界を諦めたという話がありましたが、大学に進学してからの就活はどうでしたか?
「潰瘍性大腸炎の僕ができる仕事って何だろう」と考え、「ありのままの自分でいられる」ということを就活の軸の一つに置きました。「体調が悪くなった時に仕事ができるかどうか」が心配だったので、潰瘍性大腸炎であることを受け入れてくれそうな企業を探しました。
それから、どんな仕事がしたいかと考えた時に「誰かのために働きたい」と思ったんです。
僕は潰瘍性大腸炎になったことで、TV業界の仕事を諦めました。だから僕と同じように難病や障害のせいで夢を諦めてしまう人を応援して、夢を叶えられる社会を作りたいと思っています。
それで障害分野に興味をもちましたが、僕にとっては未知の世界で…。正直「障害=怖い」のイメージすらありました。
だからこそ知りたくて、挑戦したくて株式会社LITALICOでアルバイトをはじめました。そのあと就労移行支援事業所ルーツでインターンをはじめ、そのまま新卒で入社し今に至ります。
(滑り台の中にいるのが星野さん)
就労移行支援という仕事
ーー星野さんの現在の仕事について教えてください!
現在は就労移行支援事業所ルーツで障害や難病を持っている方の「働く」をサポートする仕事をしています。
就労移行支援とは
・障害者総合支援法に定められた就労支援事業の一つ。
・一般就労等への移行に向けて、事業所内や企業における作業や実習、適性に合った職場探
し、就労後の職場定着のための支援を行う。(出典元|厚生労働省)
就労移行支援は事業所によって様々な特徴がありますが、ルーツは「障害者の就職=軽作業」としない新たな選択肢としてWebとITに特化しています。
また、僕たちは就職をゴールではなく通過点として捉えています。なので、就職した後もその人の人生がより楽しいものになるように、こちらから一方的に教えるのではなく、利用者さん自身で解決してもらえるようにしています!
仕事の決め手
–自分で解決するのは自信にもつながりますね!就労移行支援の中でも、どうしてルーツに就職したのでしょう?
「障害が1つの個性として捉えられるような線引きのない世界をつくりたい」というビジョンに共感したのと「ここなら誰よりも成長できるな」と思ったからです。
実際、インターンで川崎拠点の立ち上げを任されたり新卒1年目でルーツ川崎のリーダーになっています。また、社長の弟が統合失調症になり自殺未遂を繰り返していたことがきっかけでルーツを設立したという想いも魅力でした。
仕事を通して目指す社会
ーーそんな設立背景があったんですね!星野さんが仕事を通して目指すのはどんな社会ですか?
根本は、僕と関わる人みんなを幸せにしたいです。でもやっぱり「僕みたいに難病や障害を持っている人も夢をかなえられる社会にしたい」というのが大きいです。
実際に仕事をしていて、障害を持っている人は自己肯定感が低いと感じています。それはきっと、生きている中で否定されたり失敗した経験があるから。
なので僕はこの仕事で、自分の強みを見つけたり挑戦する機会を提供したいと思っています。それが誰もが夢をかなえられる社会につながったらうれしいです。
潰瘍性大腸炎であることをどう捉えるか
ーー星野さんは潰瘍性大腸炎になったことが今の仕事に繋がったんですね。今は難病になったことをどのようにとらえていますか?
潰瘍性大腸炎になってよかったか悪かったかと聞かれたら、悪かったです。もちろん好きなものを食べたいし、自由に遊びたいし、仕事だって休みたくない。
でも潰瘍性大腸炎にならなかったら「僕が思ってた当たり前って当たり前じゃないんだ」と気が付けませんでした。
ご飯を食べられることや、外に出られることは僕にとって当たり前じゃなかったんです。こういう何気ないことにも感謝できるようになったり、後悔のないように行動できるようになった事は自分にとってプラスでした。
それに、今こうして自分のやりたい就労移行支援という仕事を見つけられて、こんな自分でも付き合ってくれてる人と出会えたのは間違いなく潰瘍性大腸炎になったことがきっかけです。
なので良かったと思える時もありますね。
メッセージ
ーーそれでは最後に、社会の障害とたたかう人へ向けてメッセージをお願いします!
「自分を応援してくれる人」を増やしていってほしいです!障害があってもなくても、得意苦手はあります。
自分ひとりではできないこと、苦手なことは周りの人に弱みを伝えて、巻き込んで、巻き込まれて。お互いに補い合う関係性を自分で作っていってください!
星野一徳さんが働く就労移行支援事業所ルーツ川崎。ルーツは就労移行支援事業所では珍しくWebとITに特化しており、illustratorやPhotoshopなどのデザインスキルからPremierProの動画編集、RubyやPythonなどのプログラミングを学ぶことができます。
ルーツ川崎では見学や体験、説明会を行っています。就職や体調について星野さんに相談してみたい方はぜひお問い合わせください。
【編集後記】
今回インタビューしたのは就労移行支援事業所ルーツの川崎事業所代表の星野一徳さん。病気は違いますが、わたしも腸の病気になったことで星野さんと非常に似た経験をしています。そんなこともあり、今回星野さんのお話が聞けたこと、とてもうれしかったです!
難病が障害者の枠組みに入るのならば、星野さんも障害者です。障害者って何なんだろうと改めて考えさせられました。
(編集:佐藤奈摘|Twitter)