株式会社Culmony 岩澤直美に訊く「多文化共生社会」に向けた日本の課題・取り組み

株式会社Culmony 代表取締役
岩澤直美    いわざわなおみTwitter
1995年6月12日生まれ。チェコ生まれ、日本(大阪)・ハンガリー・ドイツ育ち。
Culmony(カルモニー)を立ち上げ、英語を切り口とした異文化理解教育の展開を始める。2020年3月に早稲田大学を卒業後、東京大学大学院の学際情報学府に進学。大学院では、児童の異文化間教育や学習環境デザインについて研究している。好きなものはワイン、落語、歌舞伎、自転車。

多文化・異文化といった言葉に対して、どのようなイメージを思い浮かべますか。

日本で暮らしていると、自分たちとは関係性が薄く、少し距離があるものだと捉える方もいらっしゃるかもしれません。

今回インタビューしたのは株式会社Culmony 代表取締役である岩澤直美さん。多文化共生社会の実現に向けて、異文化間教育や学習教育デザインについて研究する現役の大学院生です。

人種や文化、ジェンダー、障がいの有無など、私たちが抱える「社会の障害」は様々です。

誰もが自分らしくあるために、私たちにできることは何でしょうか。

多文化共生社会とは


(留学生とインド文化を体験するワークショップ)

概略

はじめに、「多文化共生社会」とは何か、岩澤直美さんにお話を伺いました。

–多文化共生社会について概略を教えていただけますか?

多文化共生社会とは、「様々なルーツや文化的違いを持つ人たちが共に生活をする中で、態度やコミュニケーション、制度や法律によって、一人ひとりに対する尊重や権利の保障を追求する社会」と捉えています。

多文化共生社会のゴールは、誰も排除されず、差別をされず、全員がありのままで尊重され、「違い」の豊さが価値と考えられる社会だと思います。

日本の多様性

–日本における「多文化共生」の実情はどうなのでしょうか。

地域差が大きいと思います。私が住んでいる東京都新宿区は国際文化が豊かですし、以前住んでいた大阪府箕面市も国際学校があることもあり、様々なルーツを持つ人が住んでいました。このような人口の多い地域では、街中や職場、学校で異文化に出会うことは多くあると思います。一方、地方では、まだ「外国人に会ったことがない」というような方がいることもあります。

ただ、それは大きな枠組みでの文化と認識した場合で、どのような集団であっても、例えば家庭のなかの文化の違いですとか、個人の特性で周りと違うものがあるという観点では、誰にでも周りと違う「多様性」はありますよね。誰もが複数の文化的集団に属していて、また、性格や個性も多様で、多文化的要素を持っているのです。

そうしたことを前提に考えますと、日本も非常に多様性に満ちた社会なのですが、この「違い」に対する尊重や受け皿があるかというと、まだ十分とは言い切れないと思います。

国内における多文化共生の取り組み

制度面に関しても、日本の多文化共生に向けた取り組みはまだ限定的です。日本に来ている外国人や留学生に対する支援や、地域の人々との関係性を深めるための支援などが十分行われている自治体は、まだ少ないと考えています。

ただ、例えば新宿区では外国人の割合も多いので、「多文化共生センター」といったものを設置し、地域ごとの課題をどのように解決していくかといったことを考えていく取り組みを進めています。

私も新宿区多文化共生まちづくり会議の委員の1人なのですが、自治体ごとの違いはあれど、少しずつそうした取り組みは増えている印象はあります。

–新宿区以外でも取り組みは増えているのですね。
近くで言いますと、渋谷区も多様性を受け入れる社会づくりに積極的ですね。あとは、外国人の多い川崎市では学校内で「多文化共生」を促進するため、工夫が色々とされているようです。

私は高校卒業まで関西にいたのですが、箕面市という自治体では外国人も多く、多文化共生社会に向けた取り組みを進めている地域でした。「多文化交流センター」という施設がつくられ、様々な国の料理や交流を楽しむことも頻繁に開催されていましたね。

多文化共生社会に向けた課題

–多文化共生社会に向けた課題などはありますか。

一つは、移民の子どものが持つルーツの文化や言語を維持する取り組みが、まだあまり重要視されていない点が挙げられます。

子どもたちの多文化共生で言いますと、外国をルーツに持った子が日本の学校に入る際に「どのように日本の文化や言語を習得するか」、「どうすれば日本の子たちと馴染めるようになるのか」といった内容は検討されるのですが、もともとのルーツを尊重するという部分はそこまで重要視されていません。

少数派が多数派に合わせることも大切ですが、多数側、つまり受け入れ側も「受け皿」といった部分、違ったものであっても「ありのまま」を受け入れ、彼らの文化を尊重し、興味を持つ気持ちを育てるといった面は必要であると感じています。

小学校では「外国語」「外国語活動」の時間が設けられてはいるのですが、英語教育に偏っているケースもあり、もっと異文化理解を深めていけるように思います。

最近ではICTを用いてオンラインで異文化交流を行う取り組みも増えてきましたが、そのような授業ができる学校も少ない現状があります。設備や環境を整える時点でも課題はあるようです。

課題に対する総合的な提案|株式会社Culmony

概略(ミッションやビジョンなど)

–Culmonyのご活動について、まず会社としての概略やミッションについてお話いただけますか。

「Culmony」という名前は、CultureとHarmonyをかけ合わせた私の造語になります。立ち上げは私が高校3年生のときです。

主な活動として、児童を対象に異文化間能力を身に付けるための授業を行なっています。現在ではスクールを経営しているので、そのなかで異文化を扱った問題解決型の授業を行なったり、実際に交流する場を用意し、世界に興味を持ってもらうワークショップなどを開催しています。

異文化間のコンフリクト、例えば移民の転校生が同じクラスの中でいじめられている状況のなかで、 自分はどのような役割を担い、問題解決ができるのかを考えられるような内容となっています。

Culmonyでは『多様性に寛容な、 違いを愛する社会を作る』というビジョンを掲げています。教育によって「異文化があり、それは受け入れるべきもの」と知識として身につけることはファーストステップとして重要ですが、「違い」を受け入れることや、ステレオタイプをやめることを無理に強制することは望ましい指導ではありません。リバウンド効果と言って、ステレオタイプに基づいた判断や行動を行いやすくなってしまうことがあります。

本当に大切なのは、心の中から「自分とは違う人たちがたくさんいて、そのような社会は豊かでいいな」と感じられる社会だと思うので、Culmonyでも価値観を持てるような教育を追求していきたいです。

違いに対する積極性、学術的には「異文化感受性」として扱われることもあります。そうした態度や価値観という部分を教育を通して育んでいくことは大事なことです。「文化の『違い』を理解し、楽しむ心を育てる」ことがCulmonyのミッションです。

Culmonyの事業内容

–Culmonyさんでは、小学校出張授業などを行っているのですね。

小学校出張授業でも、英語を使いながら、異文化間能力を高めるための授業を提供しています。様々なルーツを持つゲストと交流し、それぞれの文化への理解を深めたり、異文化間で起こる問題について考えた異文化コミュニケーションの重要性を認識するためのプログラムです。

現在は新型コロナウイルスの影響で、オフラインの授業を行うハードルは上がりましたが、オンラインでも提供可能なプロジェクトを通して、引き続きプログラムを展開していきたいと思います。

–多文化共生アドバイジングという事業ではどのようなことに取り組んでいるのですか。

企業などの組織に対して、異文化間で起こり得る問題の情報提供や、制度やコミュニケーションで起きてしまう差別をなくすためのアドバイジングを行っています。そして、ワークショップの提供や、教材作成、現場調査などもリクエストに応じて対応しています。

私自身は、新宿区の「多文化共生まちづくり会議委員」として、どのような取り組みが足りていないのか、多文化共生センターの取り組みはどのようにしたら必要な人に届くのか、などに関してコメントをしています。

他にも企業さまの社員研修として、英語を使った異文化コミュニケーションや、ビジネスの中で求められる異文化理解などのワークショップを行ってきました。

設立の経緯

Culmony
(グループで異文化クイズを行う様子)

–Culmonyの設立経緯について教えてください。

設立は、高校3年生のときで、当時はまだ受験の真っ最中でした。

出願をしたり、結果が出ていないものもあったので、ひと段落してからでも良かったのですが、待ちきれなくなってしまいスタートしました。(笑)

私の母校である関西学院千里国際学園高等部では、毎週土曜日にサタデースクールというものが開かれていました。英語がネイティブの講師と、多様なルーツを持つ高校生・大学生スタッフがいる環境で、海外経験のない子を含めた小学生の子どもたちが、英語で音楽や体育、図工などを行うプログラムです。

私もそこに関わっていたのですが、「自分が小学生だったら通いたい!」と思うくらい、その環境を素晴らしいと感じました。ただ一方で、サタデースクールに通える子たちは限られていたということが現状もあり、私としては悔しい思いがありました。

そこで、異文化に触れたり、いろいろな国の人たちと出会える環境を無料で開催したら、これまで選択肢が少なかった子たちにもプログラムを提供できるのではないかと思ったんです。知り合いに紹介してもらった社長さんにお願いをして協賛をしていただき、「無料の異文化理解教室」という名前で、近くのコミュニティーセンターの部屋を借り、授業をスタートしました。

高校卒業後は、大学が東京だったため拠点をこちらに移し、いろいろプロジェクトやイベントを始めたり、新しい事業を通して活動を広げていきました。

Culmonyが法人化したのは2016年です。最初は個人事業主として活動していたのですが、企業さまと取引する機会が増えたことや、保護者さまからの信頼性を保つために法人化することを決めました。

利用者さまの声

「始めは行きたくないなあ。と言っていましたが、クラスが終わると楽しかった。また行きたい。と変化していました。」(小学生保護者)

 

「知らない地域や文化について学ぶことは楽しいようで、次回までに先生に聞きたいことを英語で聞けるように家で準備をするようになりました。英語を学ぶモチベーションになってると思います。」(小学生保護者)

 

「子どもがいろんな国に興味を持ち始めたようで、家で世界の文化の図鑑や、世界の国旗の絵本を楽しむようになりました。」(未就学児保護者)

 

「イスラエルとかハイチとか、しらない国をしれておもしろかったです。もっといろんな国をしりたいと思いました。」(小学生参加者)

 

「いろんな国先生がいて、みんなおもしろいから楽しかったです!ちがう国でも、日本とにてる食べものがあるって知って、食べてみたいと思いました。」(小学生参加者)

社会の無意識な差別がなくなるように|Culmony代表 岩澤直美

自己紹介

–岩澤さんのご経歴についてお聞かせください。

私は父が日本人、母がチェコ人で、生まれはチェコのプラハになります。生まれてすぐに日本に来て、その後は5歳~7歳くらいまでハンガリーのブタペストで生活しました。

自分が日本人だと感じたのは、その頃です。5歳まで日本にいたときは自分が「○○人」といったことや、周りと違うということについて気にしたことはなく、疑問に思うこともありませんでした。

ハンガリーで通った幼稚園や小学校では、世界の様々な国や地域から転勤で引っ越してきた子が多く、私のように英語をネイティブとしない人が何人もいました。

そうした環境のなかで自己紹介をするとき、「自分はチェコ人と日本人です」と紹介する機会が多くなったんです。そこから少しずつ自分自身のアイデンティティについて考えるようになりました。

その後帰国し、小学校1年生の途中から6年生の途中までは、日本の公立小学校に通うようになりました。ハンガリーでは「自分は日本人だ」と言い続けたものの、日本に戻ると「おまえは日本人じゃない」と言われる経験をして、アイデンティティに悩むようになりました。

小学校6年生から中学校3年生あたりまで、今度はドイツのデュッセルドルフというところに移り住んだのですが、こちらではまた別の経験をすることになりました。

ドイツに引っ越す頃には英語を忘れ、日本語を第一言語として使いながらも、「自分はチェコ人でもある」という自覚がありました。しかし、ドイツでは「日本人」「アジア人」としてカテゴライズされることが少なくありませんでした。そうしたカテゴリーは、英語をネイティブとする集団よりも下に見られることも多く、「劣っているように見られたくないから、日本人としての自分を否定してチェコ人として見られたい!」というような葛藤もありました。ここでもまた、アイデンティティについて悩み続けました。

–そうだったのですか。

中学校3年生で日本に戻ってきてからは、大阪の関西学院千里国際中等部・高等部に転入し、卒業後は早稲田大学国際教養学部へ進学しました。学部の頃は休学していたので、今年の2020年3月にようやく卒業できました。この4月からは東京大学大学院の学際情報学府で、学習環境デザインについて研究しています。

私自身は児童の異文化間教育をテーマに、「どうすれば異文化間に対する積極性や興味といった態度、多様性を魅力として捉えられる価値観を育成できるのか」について考えています。

Culmonyを通じた気づき・感じたこと

岩澤直美さん
(Culmonyの授業風景)

–Culmonyでの活動を通して、気づいたことなどはありますか。

教育はビジネスとして提供する場合、サービスになります。そして、サービスとは基本的にお金を払う人のニーズに応えるものになりますよね。

教育は本来、子どもに対して価値になるものを提供するものですが、サービスになるとお金を支払う保護者の満足度を高める教育になってしまっていることも少なくありません。

Culmonyで育てたい非認知能力は、英語の単語や文法と違い、見えにくいものが多いです。「異文化に対する理解度や価値観」は、分かりやすく学力の向上と紐づかないこともあるので、お金を払ってもらうということになると、保護者とのコミュニケーションは大切だと思います。

多文化共生へ私たちができること

–多文化共生に向けて、私たち一人ひとりは何を意識したらいいのでしょうか?

異文化理解の最終ゴールを「違いの尊重」として設定すると、大切なことは相手を自分のステレオタイプに基づいて、評価しないということがまず挙げられます。

カテゴリー化をして、「この人はハーフである」とか、「この人は障害者である」といった判断をすると、そのカテゴリーに紐づいているステレオタイプを相手に押し付けてしまうことがあります。

ステレオタイプを無意識に持ってしまっているということを認識し、そのステレオタイプに依存して相手を判断・評価してしまうことを自己抑制することが大切だと思います。

私は「ハーフだから英語ができて良いよね」、「ハーフはみんな美人でいいよね」と言われたことがあります。飲食店に行って、日本語で挨拶をしても英語のメニューを渡されたり、不動屋さんで「家主さんが外国人を嫌がることが多いので案内できません」と断られるといった経験もあります。

こうしたものはステレオタイプに基づいた言動で、相手のことを知る前に勝手に決めつけてしまっています。そして、それを向けられた相手は傷つくことがあるんです。

一朝一夕に逓減できるものではないですが、「自分はカテゴリー化をして相手を理解した気でいないか」と振り返る機会は必要だと思います。

–なるほど。

そして、主語を小さくして話すことも大切です。「日本人」と言っても、そのカテゴリーにはハーフの方もいれば、日本に住んだこともない方、日本語が話せない方もいるかもしれません。

日本語を話すということを前提に日本人だというのであれば、それは日本人ではなく、日本語を話す人といえば良いですし、「ハーフのメイク」ではなく、彫りが深いメイクと表現すれば十分に伝えることができます。

誰しも意図せず相手を傷つけてしまうことはあります。ただその時は、自身の言動などを振り返ってみて、「こう言ってしまったけど、傷つけてしまったら申し訳ない」というコミュニケーションを継続することができれば、お互いの理解は深まっていくと思うんです。そうした機会を増やすことが大事なのではないでしょうか。

社会へのメッセージ

多文化共生社会
(岩澤さんも講師として活動している。)

–当事者に向けてのメッセージをお願いします。

偏見や差別を感じている当事者には、無理のない範囲で、不快だった経験や社会の変えていきたいと思うことを積極的に発信してもらえたら嬉しいです。そうした発信をみて、課題を認識できる人も増えるのではないでしょうか。

勇気のいることだと思います。自分から声を上げることは難しい場合でも、今では匿名で発信することも可能です。「こういったことが苦しい」、「こういったステレオタイプに悩まされている」と、多くの人に届けて、「なるほど、これはダメだったんだ」と気づける環境を増やすことの力になってもらえればと思います。

–日本社会に向けてのメッセージはありますか。

「偏見やステレオタイプが、相手を傷つけてしまう可能性がある」といったことを前提に、いかに抑制できるかを考えていただけたらと思います。

生きていれば、自分が気に入らない人や苦手な人にも必ず出会うかと思います。そうした感情は自然なことではありますが、表に出した瞬間、非常に攻撃性のあるものなってしまうかもしれません。思うことと言動に表すことは違うものだと理解していただきたいです。

SNSでの誹謗中傷というものが問題になっています。

相手の人権を奪う行為、相手を追い詰めるような発言は許されません。「ハーフは中途半端な気持ち悪い生き物だ」「ハーフは自分の国に帰れ」「ハーフは日本人じゃない」などのツイートはよく見かけますが、このような誹謗中傷がなくなることを願っています。

–ありがとうございました。最後に今後のCulmonyの展望をお聞かせください。

私はCulmonyとしての活動を通して、小学校でもっと異文化間教育というものを展開できたらと考えています。そうした活動を通して、子どもたちの外国に対する興味や積極性といった態度や理解、知識といったものも深まるかと思うんです。

どんな教室でも取り組める「異文化間教育」というものは何かを追及し、学校へ届けることに挑戦していきたいです。

【編集後記】

大学院での研究も行いながら、Culmonyとして様々な文化に触れるプログラムを提供している岩澤直美さん。お話にあった「カテゴリー化」といった内容は、人種やルーツに限られたものではなく、誰もが関わり、経験し得る問題だと感じました。取材の後、岩澤さんのご厚意により、多文化共生に向けた3冊の本をご紹介いただいています。そちらもぜひ、ご一読ください。

(編集:伊藤弘紀|Twitter)

 

1 COMMENT

ayumi miura

中学校の教員です。「差別」誰も幸せにならないのになぜなくならないのかと思っています。
先日、藤田医科大の宮川剛先生のtweetの「脳の機能として、仲間の痛みを自分の痛みとして共有するメカニズムがあり、その他者を外部化することにより痛みの共有機能をオフにすることができる」「共有の苦しさから逃れ強い快感を伴う」という内容に、差別はやめようといってすぐ解消する単純なものではないことを再認識しました。
 そもそも「誰もが差別心を持っている」「痛みを共有する強い自覚と覚悟が必要」これを子どもたちにも伝えていく必要があると思いました。
 前置きが長くなりましたが、岩澤さんの実践されているようなことが本田由紀先生の提唱されている「水平的多様化」に近づいていくのではないかと思っています。差別やいじめに関して「罰」として表面的に対処するのではなく、子どもたちが自分で考える材料を提供するこういった取り組みがもっともっと広がってほしいと思っています。
 論点がずれていたらすみません。

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