織田友理子|みんなでつくるバリアフリーマップ「WheeLog!」で車いすユーザーの悩みを浅く、短く

一般社団法人WheeLog代表
織田友理子 おだゆりこ(TwitterYouTube
大学在学中の22歳のときに進行性の筋疾患「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー」(GNEミオパチー)の診断を受ける。26歳で長男を出産、車いすユーザーとなり、28歳には遠位型ミオパチーの患者会・PADMを発足。以降はバリアフリー動画情報サイト「車椅子ウォーカー」を立ち上げるほか、みんなでつくるバリアフリーマップ「WheeLog!」を開発。総務省地域情報化アドバイザー、東京都福祉のまちづくり推進協議会 専門部会委員など活動の幅を広げている。
DVD『Walker 「私」の道』、著書に『心さえ負けなければ、大丈夫』『ひとりじゃないから、大丈夫。』がある。

車いすユーザーが外出する際、特に初めて行く場所ではエレベーターや段差、多目的トイレの有無などの情報がとても重要になります。

そんな要望に応えるのは、みんなでつくるバリアフリーマップ「WheeLog!(ウィーログ)」。WheeLog!は、バリアフリー情報を投稿・閲覧できるだけではなく、人と人とのつながりを大切にしています。

今回Puenteでは、このアプリの立案者である織田友理子さんにインタビューしました。「遠位型(えんいがた)ミオパチー」という希少疾患についてや、織田さんの活動、WheeLog!への想いと今後への期待を紹介します。

「自分だけがよかった」では納得ができず「社会がよくなった」と実感できる活動がしたいと語る織田さんの想い、ぜひご一読ください。

織田友理子とは


遠位型ミオパチーになって

ーー織田さんは縁取り空胞を伴う位型ミオパチー(GNEミオパチー)という疾患をお持ちですが、その診断が出る前にはどのような自覚症状がありましたか?

大学2年生の20歳くらいの頃から、足元がおぼつかなくなりました。

毎日1回は転ぶようになって、ひざには傷が絶えず、おしゃれをしたくて履いていたヒールの高さは低くなり、友達との集団行動を避けるようになります。

「おかしいな」と思いながらも、周りに「変だ」と思われないように、だましだまし生活をしていましたね。

遠位型ミオパチーとは
遺伝的な筋肉の病気(筋疾患)で、原因不明の希少疾病。10以上の異なる疾患があるが、日本では「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー(またはGNEミオパチー)」と「三好型ミオパチー」の患者が比較的多く、患者数はそれぞれ400人程度。
「縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー(GNEミオパチー)」では筋肉が徐々に痩せていき、発症すると10数年で車いすを常時必要とするような状態になる。

(参照元|難病情報センター

ーーだんだん足元がおぼつかなくなってきた際は、原因もわからず不安があったと思います。

当時は自分の運動不足のせいだと思っていたんです。それで犬の散歩をしてみたり、当時住んでいたマンションの11階まで階段であがってみたりしました。

大学4年生の時、筋肉がなくなってどんどん細くなっていく脚を見た父親が「病院に行ってきなさい」と言ったんですね。

それまで「内緒で病院に行こうかな」と思い親に隠していましたが「もう隠せなくなってきているんだ」と思い、病院に行き診断を受けました。


ーー縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー(GNEミオパチー)と診断が出た際はどのような気持ちでしたか?

「私の責任じゃなくて病気だったんだ」とホッとしましたね。

それに病名を付けてくださったことには、すごく感謝をしています。

縁取り空胞を伴う遠位型ミオパチー(GNEミオパチー)は、患者数が400名ほどと言われる希少疾患です。そういう難しい病気は、病名がつかずたらいまわしに合ったり、まるっと筋肉の病気という診断を受けてしまうと思っていました。

でもたまたま行った病院に、東京医科歯科大学医学部附属病院からの派遣の先生がいて、その方が東京医科歯科大学医学部付属病院でミオパチーの研究をされている神経内科の先生を紹介してくださったんです。

病名を付けていただけたということは、どこかに研究者が必ずいて「この先研究が進んで治る可能性がある」と希望が持てることだと思いました。

 

車いすユーザーになること

ーー織田さんは診断を受ける前からお付き合いしていた洋一さんと25歳でご結婚、26歳でご出産、そのタイミングで自分用の車いすに乗り始めていますよね。当時は車いすに乗ることをどのように考えていましたか?

当時は腕を組んでもらわないと歩けない状態でしたが、ショッピングセンターや結婚式場の車いすをお借りしていました。新婚旅行も社会福祉協議会から車いすをお借りして行ったんです。


(借り物の車いすに乗る友理子さんと洋一さん)

自分の車いすを作らず借りていたのは、借り物の車いすなら「一次的な骨折に見られるかも」「具合が悪いだけに見られるかも」と思っていたからなんです。

自分の身体のサイズに合わせた車いすに乗って「あの人障がい者なんだ」と思われるのが当時は耐えられなくて、しばらく借り物の車イスで過ごしていました。

でも出産して「赤ちゃんを膝の上にのせて移動しないと危険だな」と思い、手動の車いすを作ることにしました。

やっぱり周りの目が痛くて「自分の車いすは作りたくない」と言っていましたが、夫が「そうやって『他の人がかわいそうだと思う』と思っている人がかわいそうなんだよ」と言ったんですね。

その言葉を聞いて納得しましたし、私は「車いすに乗っている人を、周りの人はかわいそうと見るはず」という思考だったんだと気づきました。

それは今まで私が車いすの人達に「かわいそう」という目を向けていたということです。また人に向けた目というのは必ず自分に返ってきて、いざその立場になったときに自分のことを苦しめてしまうんだと思いました。

「どうして私は外見や環境、状況で人のことを判断する、器の小さい人間になってしまったんだろう」とすごく自分のことを恥じて、「障がい者がどうだ」「その人が置かれた環境がどうだ」ということで人を判断する人間にはなりたくないと思いました。


(織田さんと夫の洋一さん|MIT Solveのファイナリストに選出されました)

遠位型ミオパチー患者会・PADM

ーー私だったら自分の事で精一杯になってしまいそうですが、そんな中「遠位型ミオパチー患者会・PADM(パダム)」を立ち上げたのにはどのような想いがあったのでしょう?

当初は患者会が何をするところなのかもよくわからなかったのですが「同病者だからこそ相談しあえる悩み事などを、きちんと共有できたら」と思いましたし、そういったコミュニティをつくり上げていくことって大事だと思いました。

NPO法人PADM

任意団体「PADM遠位型ミオパチー患者会」として2008年に発足。研究推進・新薬開発・難病指定を求め、署名活動 ・要望活動・認知度向上活動などを行ってきた。「超希少疾病における創薬のモデルケース」となり、希少疾病患者や医療界全体の福祉に貢献することを目指す。

それから国の指定難病に入っていなかった遠位型ミオパチーを指定難病にしていただき、治療薬の開発を促進してほしいという思いもありました。

そのためにPADMで街頭署名を行い204万を超える署名を集めたり、厚生労働省への働きかけに注力しました。

その結果2015年に遠位型ミオパチーが指定難病となり、国の補助が出て治療薬の開発が促進され、マウス実験で有効な薬も見つり希望が見えたんです。

ですが、自分たちの病気が特例的に国に予算を付けてもらい治療薬の開発が進んで「よかった、よかった」とは終わらせたくないと思ったんですよね。

製薬会社は営利企業ですので、患者数が少なくて儲からない希少疾患の治療薬は、開発が進まないという構造があります。

実は新薬の開発ができる国は世界で10か国にも満たなくて、そのうちの一つが日本なんですね。可能性があるのに「患者数が少ないから」という理由で、治療薬開発の議論すらされていない状況を変えたいと思いました。


(PADMのみなさん)

なので、遠位型ミオパチーの難病指定と同時に「超希少疾病の治療薬開発の制度を確立してください」という要望書を度々厚生労働大臣に出して、訴えかけてきました。

その結果「ウルトラオーファンドラッグ制度」が確立されました。今まで「オーファンドラッグ制度」という、患者数5万人未満の疾患に対する支援策がありましたが、遠位型ミオパチーの患者数は500人に満たず、桁が全然違うんですよね。ウルトラオーファンドラッグ制度では、1000人未満の本当に希少な疾患に対しても製薬が望まれるようになりました。

オーファンドラッグとは
希少疾病用医薬品のことで、対象患者数が本邦において5万人未満であること、医療上特にその必要性が高いものなどの条件に合致するものとして、厚生労働大臣が指定した医薬品。
ウルトラオーファンドラッグとは
オーファンドラッグの中でも特に患者数が少なく、1,000人未満の疾患に対する薬剤。開発費用により厚い助成を行う。

(参照元|CMICオーファンパシフィック


ーー自分の事だけではなく、常に社会全体を考えていらっしゃるんですね。

私は夫など周りのサポートがあって活動できています。これが当たり前ではないことを忘れてしまったら、きっと日本も変わっていかないですし、何より「自分だけがよかった」という状況を生み出すのは、全然納得ができないんです。

どうすれば同じような人や関係する人々に焦点を当てられるかを常に考えて活動するようにしています。

 

YouTube「車椅子ウォーカー」

ーー「自分だけではなく」という想いは、YouTubeチャンネル「車椅子ウォーカー」の設立にもつながっていると思います。「車椅子ウォーカー」はどのような想いで始めましたか?

海外出張の機会をいただけるようになり、その情報をブログなどで発信はしていたんです。でも「電車に乗る」「バスに乗る」「飛行機に乗る」、いろいろなことが車いすでも可能であると伝えることを考えた時に、「YouTubeって可能性がある」と思いました。

当初、私は車いすで飛行機に乗る方法もわからなかったのですが、乗ってみたら「全然心配しなくてよかったんだ」と思ったんです。なのでそうした「心配しなくていい安心材料」を共有したいと思いました。

やはり「自分がこんな体験できてよかったです」ということにとどまらず、動画を見た人が「自分もできるかも」「友達や家族にこの情報を伝えたら人生が変わるかも」と思ってもらえたらうれしいなと思って始めました。


WheeLog!:みんなでつくるバリアフリーマップ

AppStoreで入手Google Play で手に入れよう

一般社団法人WheeLogは「車いすでもあきらめない世界」を目指し、アプリ開発やイベント活動などを行っています。代表は織田さん、最高技術責任者は伊藤史人、最高知識責任者は吉藤オリィ。また、運営委員会2020には白髭萌などが参加しています。

2015年のGoogleインパクトチャレンジで「みんなでつくるバリアフリーマップWheeLog!」アプリを発表、グランプリを獲得し、2017年5月にリリース。現在の登録ユーザー数は2万8千人。(2020年6月3日現在)

▼白髭萌|吉藤オリィについて


WheeLog!の開発経緯と想い

WheeLog!アプリでは、車いすで通った道のりを地図上に描くことができる走行ログ、施設や設備のバリアフリー情報を地図上に自由に投稿できるスポット、知りたいスポットの情報のリクエスト、つぶやきやコメントができます。リリースから国内外で10以上の賞を受賞したほか、24時間テレビなどのメディアで多数掲載されています。

ーーブログ・YouTube(車椅子ウォーカー)・アプリ(WheeLog!)というのはつながっているんですか?

そうですね。2014年にYouTubeをはじめて半年もたたないうちに「これって私が本当にやりたかったことじゃないかも」と思ったんです。

例えば私が北海道に行ってバリアフリー情報を集めても、少しの滞在で知り得る情報って本当に少しで、地元の人の方がよく知っているんですよね。

それに、2014年当時のYouTubeは、私が一方的に情報を共有する形でした。そうじゃなくて、私は「みんなが双方向で情報を共有しあえるようなプラットフォームをつくりたい」と思っていました。

それで同年の夏、知り合いに「この構想でWebを作ってもらう費用はどのくらいか」と聞いてみたら、すごい金額だったんです。「自分では出せないな」と思っていた2014年の秋に、Googleインパクトチャレンジの話を知ることになりました。

「挑戦してみよう」と思いPADMで申請したところ、グランプリを受賞させていただきました。

 

ーーWheeLog!はバリアフリー情報をマップで見られるだけではなく、つながりが生まれる仕組みがあると感じています。ここは意識されているところですか?

リリース前は付けた1つ1つの機能がどう使われるか想像もつかなかったのですが、アプリの開発では「情報だけではなく、それ以上に人と人とのつながりによって人は励まし、励まされる」そんな世界観をすごく大事にしました。

外に出られる活動的な人だけにスポットを当てるのではなく「外に出る人もすごい」「家でコメントをしてくれる人もすごい」と、自分ができる範囲でいろいろな方にコミットしていただき、みんなでいい社会をつくっていくことを考えています。

なので、WheeLog!は「キラキラ車いすユーザー」が称賛されるようなアプリではないんです。そうしたくないし、そうあるべきではないと思っています。

車いすユーザーになったことで落ち込んでいる人がもしいたら、WheeLog!はその人が励まされる場であってほしいし、その人も自分のアクションによって誰かを励ます、その仕組みをつくりたいですね。


ーーまさに「みんなでつくるマップ」になっているんですね。

車いすユーザーだけではなく健常者の方、大人だけではなく小学生の方にも体験していただいていますし、高校や大学の授業で使っていただいたりもしています。

街を作っていくこと、社会を作っていくこと、国を作ってくことを考えた時に、その全体は障がい者だけで完結できるものではないんですよね。多くの人にコミットしていただくことを考えないと、いい活動はできないなと思いました。

現在WheeLog!アプリユーザーの3割が車いすユーザー、それ以外が健常者。

例えると、健常者の方には観客になって応援するだけではなく、プレーヤーとなってこの活動に協力してもらいたいんです。

車いすユーザーがバリアフリー情報投稿し、それを応援してもらうだけではなく「投稿しよう」と一緒につくり上げる側にまわってもらうにはどうしたらいいかは、すごく考えていたところでしたね。

要は、私たちWheeLog!はバリアフリー情報を集めているだけではないんです。

人と人とのつながりを大切にしているので、投稿するだけではなくイベントで会ったり、オンラインイベントで顔を見かけたり、そういう機会をどんどん増やしています。

なので今となっては人と人とのつながりをもっと広げていく1つのツールでしかなくて、それを活用してみんながつながり社会がよくなっていく、そういう活動をしていきたいと思います。

第2回つながり∞イベント開催!
テーマは「誰もが楽しめるまち 〜今できることを考える〜」。

2020年7月11日(土)20:00~オンラインで開催されます!詳細はこちらから。

ユーザーからの声

ーーWheeLog!は2020年5月で3周年を迎えましたね。ユーザさんからいただいて、うれしかった声はありますか?

健常者の方が「車いすマークがこんなにあるのは今まで気がつかなかったです。トイレを見たら、トイレばかり投稿してしまいます」と言ってくださったりします。

それから「今までは、自分が動くことで人に迷惑をかけるから、動かない方がいいと思っていました。でも自分が動くことによって誰かのためになれるのであれば、喜んで動きたいです」という、思考の転換もすごくうれしかったですね。

WheeLog!アプリに情報を投稿するために「外に出よう」と思ってくださる方がいるのはとてもうれしいです。

WheeLog! Shopオープン|3周年記念限定Tシャツ販売中


WheeLog!を通して実現したい社会

–WheeLog!を通して実現したい社会がありましたら教えてください。

WheeLog!の中だけで情報が得られたりつながるだけではなく、社会を本当によくしていくためには、私自身が社会に対してアクションを起こしていく必要があると思っています。

なのでユーザーからいただいた声は自分の中で落とし込んでいるのですが、その中の1つで、道路交通法に「公道にはスロープを付けてはいけない」と解釈できるような文言があって、スロープを付けようとしているかもしれないけど、それができない」というつぶやきがあったんですね。


(実際のつぶやき)

確かにせっかくのバリアフリー化の機会が失われてしまうので、国会議員さんに連絡をとり「どこがボトルネックになっているのか」を調査してもらうことにしました

すぐに改善されるかはわからないし、期待しない方がいいかもしれないのですが、こういうユーザー1人1人の小さな気付きを埋めたくないです。

ですが、今まで集めてきた情報はWheeLog!の中でしか見られないんですよね。

昨年「オリパラ開場周辺100店舗の飲食施設を調べる」という委託事業をやらせていただきました。それによって、アプリにリーチできない、例えば海外の車いすユーザーさんにも情報が届くようになります。

日本語版と英語版でデータ版が近々公開される予定です。

WheeLog!は、ユーザーが投稿しやすいようにざっくりとした情報になっていますが、このデータでは例えばベジタリアン対応や、オリパラ会場からのアクセスなど、より細かく調べています。


(WheeLog!のスポット投稿画面)

私は「WheeLog!の活動によってバリアフリー化が促進されている」と実感できる活動を続けていきたいと思っています。

なので「私が海外に行けてよかった」「私がみんなとつながれてよかった」ではなく、「どうしたら関わる人達が幸せを感じられるような環境を増やしていけるのかな」ということを考えています。

日本のバリアフリー化はもちろん、世界のバリアフリー化も人生のうちに取り組める日が来たらいいなと思いますが、そこにはまだ到達していないです。

▼WheeLog! Web版リリースのお知らせ|7月4日

 

織田友理子さんの今後の目標

ーーそれでは最後に織田さんの今後の目標がありましたら教えてください。

私は出産と車いすになった時期が重なったこともあって、1,2年ほど外に出られない時期があったんですね。その時は「車いすだから行けるところは少ないだろうな」と思い込んでいたんです。

でも、その当時にWheeLog!の情報を見ることができていたら私は「車いすだから…」という思考に陥らなくていいと思えたはずなんですよね。

これから出会うであろう人々が「車いすになってしまった」ことで悩む時期をなくすことはできなくても、その深い悩みを浅く、長く続く悩みを短くして、そうやってお役に立てるものを提供していきたいです。

そのために社会に対するアクションを起こしていきたいと思います。成し遂げたいことは、今はそこしかないです。

織田さんは2018年に『東京都福祉のまちづくり推進協議会』の委員に就任されている。

30歳くらいから、私が「どこに行きたい」「何がしたい」ではなくて、「社会がよくなっていけばいいな」ということばかりを考えています。

私は進行型の病気で、足元がおぼつかなくなって、杖が必要になって、車いすが必要になって、今は電動車いすになって、やがて寝たきりになる、という過程を踏んでいきます。

全部はわからないかもしれないけど、ユーザーの声を「私もそういう時期がありました」と実感として受け止めることができるんですよね。

経験してきたいろいろな悩みや苦しみ、辛さを「これから先、どれだけの価値に転換していけるか」と考えると、やっぱり「情報を誰かのために使える」「経験として語れる」ということを活かしていきたいと思います。

難病や事故、先天性の病気、どんな状況の人でもWheeLog!があることで「社会がよくなっていったな」とリアルに感じられるところまで活動していきたいんです。本当にまだまだなので、今はそれが夢ですね。

▼織田さんの著書


(編集者:佐藤奈摘|Twitter

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