車椅子トラベラー三代達也|地獄のような日々から1歩踏み出し人生を謳歌した方法とは?

車椅子トラベラー
三代達也 
みよたつや  (Twitter)
1988年11月30日生まれ。茨城県日立市出身。
バイク事故で頸髄を損傷し、両手両足に麻痺が 残り車椅子生活を送っている。
ハワイに行ったことがきっかけで旅に目覚め、約9ヶ月間で23カ国42都市以上を回り車椅子で世界一周を成し遂げた。
メディアやテレビにも多数取り上げられ、現在は講演活動や大手旅行代理店エイチ・アイ・エスのスペシャルサポーターを務めている。

(「僕はどこにでもいける。」という言葉と共にTwitterに投稿されたウユニ塩湖で車椅子キャスター上げをしている動画)

突然、不慮の事故で両手足が不自由になったとしたら、あなたはどうしますか。

町は段差だらけだから極力外出しないようにする?誰かに付き添ってもらって買い物に行ってみる?

車椅子トラベラーの三代達也さんは、介助者をつけずに車椅子で世界一周の旅を成し遂げました。

そんな彼も最初は地獄のような日々を過ごし、新しいことを始めるときにはできない理由を並べていたと言います。地獄のような日々から1歩踏み出し世界一周の旅に出たのには、どんな思いがあったのでしょうか。

両手足が不自由になった事故や人生が変わった出会い、海外のバリアフリー事情などをお聞きしました!

三代達也とは

ーー自己紹介をお願いします!

三代達也と言います。18歳のときにバイク事故にあってから13年間、手も足もほとんど動かない状態が続いています。

車椅子になって最初の5年間ほどは、坂や段差があるだけで行きたいところに行けないので自分のことを「障害者」だと思っていました。

でも、あるきっかけで行ったハワイでは”障害”を感じることがあまりなかったんですそれでもっと海外を見てみたくなり会社を辞めて旅を始めると、「もっといろいろな人に旅に出てもらいたい」という思いが出てきました。

なので「この人、ひとりでこんなところに行けるんだ、じゃあ僕も」というその1歩に繋がるために車椅子で世界一周することを決めました。約9ヶ月間で訪れた場所は、23カ国42都市以上を回っています。


(エジプト メムノンの巨像)

車椅子トラベラーとは

ーー車椅子トラベラーって、どういう仕事なんですか?

車椅子トラベラーとしての活動は、大手旅行代理店エイチ・アイ・エスとの”車椅子でも行きやすい”旅行の監修や、世界一周旅行記を綴った本の出版、コラムの執筆などがあります。また講演で今までの生き方や世界一周でのエピソードを伝えています。

ルーティーンに飽きた三代さんの学生時代

ーー三代さんはどんな学生でしたか?

平たく言うとやんちゃでした(笑)小学校と中学校は結構楽しい学校生活でしたが、高校に入ってまた同じように勉強して「この先に何があるんだろう。いい加減ルーティーンいいや」と思い高校1年生で学校に行かなくなりました。

そんな僕にとって魚市場とガソリンスタンドでの仕事は刺激的で面白いものでした。
学校でみんなで同じことをするより、ひとりでみんなと違う世界を楽しんでいる個人戦のほうが好きだったんだと思います。

これは今、旅をひとりでしていることにも繋がっています。

バイク事故の様子

ーー事故にあった時のことは覚えてますか?

すごく覚えています。18歳になったばかりの真冬、ガソリンスタンドの仕事の帰り道にバイクで乗用車と正面衝突しました。

車のフロントガラスにぶつかった時か、着地した時か…その瞬間だけふぁっと真っ白に記憶が飛んで、気が付いたら道路に突っ伏していました。
僕はその時から頚髄を損傷しているので起き上がろうとしても腕に力が入らなくて起き上がれないんですね。

それでそのまま突っ伏していたら不思議なことが起こりました。
痛いし寒いし眠いし「あーもう終わりだ」と思っていたとき、野次馬のおばちゃんが僕の耳元に来て「あんた、まだ生きてるからね!」って何分も連呼している。

「いい感じの気持ちになっているんだからもういいじゃん、うるさいなあ」と思いながらそのおばちゃんの声を聞いていたらそのうち救急車が来ました。そしたらその瞬間に、おばちゃんの声が聞こえなくなったんです。

救急隊の人に「おばちゃんがねー」と話しても、「そんな人いたかなあ?」と言うんです。だから本当にそのおばちゃんがいたのかどうかは未だに分かっていないのですが、でも僕はそのおばちゃんのおかげで助かりました。

車椅子生活になると知って

ーーそんな不思議な出来事が!おばちゃんに救われたんですね。そのあと、車椅子になると知ったのはいつ頃でしたか?

事故から数週間経ってからです。

頚髄損傷と言って、首の骨が折れたことでその骨の中にある脊髄が損傷したとか、手も足も動かなくなったとか、ベッド上での生活を余儀なくされることを聞かされました。最初は車椅子に乗れるのは”リハビリがうまくいって運が良ければ”という状態だったんです。

本当に実感がなくて「あれ、これずっと寝た状態でいつ戻るのかな」と思っていました。

(事故直後の写真)

頸髄損傷とは
脊椎損傷のうちのひとつ。
脊髄とは脳と身体を繋ぐ神経の束であり、これを損傷すると手足に麻痺を生じたり肺や内蔵がうまく働かなくなる。
首、胸、背中、腰の中でも首の損傷は重く、手足にまひが残る。

(出典元|日本リハビリテーション医学会)

奇跡の回復を果たしたリハビリ

–そのような状態から車椅子に回復するまで、どのくらいリハビリをしましたか?

リハビリは2年くらいして、最終的には立ってちょっと歩けるくらいになったんです。

本来なら脊椎損傷で手と足のすべての感覚がなくなっているはずなんですけど、僕は脊椎損傷の不完全麻痺というもので神経が少しだけ生き残っていて足を少しだけ動かすことができました。

それでどこまで足が動くようになるのかを試したくて、病院を転々としながら結局2年くらい入院とリハビリを続け、両手を固定する杖を使って数百メートル歩けるところまでいきました。

でも両手を固定してるので買い物をしようと思っても手がふさがっていて不自由だし、現実味がなかったんです。それなら車椅子で両手がフリーになった方がいいとなと思い、車椅子人生を選択しました。

不完全麻痺とは
脊椎損傷には完全麻痺と不全麻痺がある。

完全麻痺では下肢が全く動かず(頚椎では四肢が全く動かない)、感覚もなくなる。

三代さんの場合、手をパーにすることはできないが腕を上げることはでき、足も少しだけ動く。

(出典元|日本整形外科学会)

地獄のような日々

ーー入院していた2年間、どんなことを考えていましたか?

当時は地獄みたいでした。
入院中に知人が見舞いに来てくれても僕はパジャマやジャージ姿で髪の毛もボサボサなのであまり見られたくなかったし、将来がどうなっているのかもわからない状態で、ポジティブな話は何もできませんでした

やっと外出できるようになっても当時は自分1人でお店に入れなければもうダメだと思っていたので、相当人生ハードモードになるなと思っていました。

三代達也が旅に出たきっかけ

ーー地獄みたいな日々から、旅に出ようと思ったのはなぜですか?

リハビリ施設に入院していたときに僕の人生の師匠になる素晴らしい人に出会ったことがきっかけです。
師匠のおかげで外に出れるようになり東京で一人暮らしを始め、最終的に東京で会社員になりました。

そこで会社の同僚から「三代くん、夏休みに海外とか行ってみたらいいんじゃない?」と言われました。
でも当時の僕にはまだ見たことない世界に踏み込むとき、出来ない理由を並べる癖があったんです。

・そもそも海外行ったことない
・飛行機も乗ったことない
・英語喋れない
・外国人なんとなく怖い
・海外のバリアフリー情報どうなってるかわからない

こうやってできない理由をたくさん並べて「なので海外には行きません」と伝えました。
それでも「ハワイはバリアフリー整っているらしいし、日本語も通じるよ」と言われたので、とりあえず旅行代理店に顔を出してみることにしたんです。

そこで「車椅子でハワイって行けるんですか?」と聞いたらシンプルに「行けますよ」と言ってもらったので、その場でチケットをとったという流れです。

ひとりで旅をする理由

–すごい行動力ですね!初めての海外旅行が車椅子なので不安もあったと思うのですが、なぜひとりで行こうと考えたのですか?

今フリーランスでやっているのもそうですが、結局僕は誰かと何かをやるのがそんなに得意じゃなくて個人戦が大好きなんだと思います。

それと車椅子ユーザーである僕と一緒に行くことで、その人が100%楽しめないんじゃないかなと考えてしまうからです。

例えば日本でも、この店に行こうってなったとき「でも今日三代くんがいるからこの店は無理だから…こっちの店にしようか」という少し嫌な雰囲気があるんです。

だから”同じお金を払ってハワイに行くのに、フルで楽しんでもらえなかったら”と考えてしまって、”それならひとりで行っちゃえ!”というのがひとりで旅に出たきっかけです。


(チリ イースター島)

初めての空港

–車椅子で初めての空港はどうでしたか?

すべてのことに対してビビり倒していました(笑)だけど、意外と空港のシステムって整っているんだなと思いました。

カウンターに行ってパスポートとチケットさえ出せば「この車椅子のサイズで予約が取れてますよ」と言われ、飛行機に乗り込むときは1番最初で、降りるときは時間がかかるので1番最後という流れでした。

しかも付きっきりで車椅子を押してくれる人もいて、飛行機を降りたらタクシー乗り場かバス停まで連れいってくれます。

飛行機めちゃめちゃ楽じゃん、意外といけるなと思ったのを今でも覚えています。

 

手も足も動かないという意味では障害があったけど、「障害者」として何かを諦めることはなかった。

固定概念がぶち壊れたハワイ

ーーハワイに着いてからはどうでしたか?

正直、日本人ばかり居るしひとり旅だったので「あんまり面白くなくてパッとしない」というのが最初の印象でした。
でも、夜中に散歩していて迷い込んだバーは違いました。

そこは学校の教室ほどの小さなバーで、僕が飲んでいるとテーブルに代わる代わる人が来て「お前どこの国から来たの?」「なんでひとりなの?」「なんで車椅子乗ってんの?」と話しかけてくるんです。

今まで日本では、なぜ車椅子に乗っているのかは聞いてはいけないような雰囲気があったので、「そんなこと聞いちゃうんだ!」と衝撃でした。

「実はバイクでさ…」と話しても「そうなんだ。とりあえず踊りに行こうぜ!」というノリで、「この人達、全然心に壁ないじゃん!」と思いました。

最高に楽しかったんですけど、トイレに行きたくなってしまったんです。
当時、僕が行けると思っていたのはショッピングモールかホテルのキレイで広いトイレだけでした。

なので「ごめん、トイレに行きたくなっちゃったからもうホテルに戻る」と言うと「ここのトイレに入ればいいじゃないか」と言われるんです。

こんなに小さなバーのトイレなんて入れるわけがないと思って、ごめん無理だと思うからと言っても「いいから見てこいよ」と言う。

それでバーのトイレを見に行ってみたら、車椅子が3、4台入るような大きなトイレがあったんです。

「なんだこれ!」と、僕の固定概念がどんどんぶち壊れていきました。

それまで僕は自分のことを”障害者”だと思っていましたが、ハワイでは手も足も動かないという意味での障害があるだけで”障害者”として何かを諦めることがなかったんです。

そんな衝撃の連続で、これは「海外キタ!」と思い帰国後すぐに当時勤めていた会社を辞めました。
そのあとロサンゼルスに1ヶ月間の短期滞在をしてみて、その後は長期滞在をしてみようとオーストラリアに半年行きました。

初めての海外旅行で行ったこのハワイでの経験が、海外にべったりな今の人生に繋がったんです。


(ハワイ オアフ島)

障害のあるアメリカ人法(ADA法)
1990年に制定、2008年に改正された障害者を差別するべきではないという法律。

(参照元|内閣府)

 

僕の為だけじゃなくて、他の人が1歩踏みだすきっかけに繋がる旅がしたい

車椅子で世界一周

–そのロサンゼルスやオーストラリアでの滞在の経験が世界一周の旅に出るきっかけになったのですか?

そうですね。オーストラリアから帰国して3年間ほどまた会社員になったのですが、結局学校に行かなくなった時と同じで、みんなが似たような仕事を毎日するというルーティンを疑問に思い始めました。

それで、じゃあ何がしたいのかなと考えて「旅に特化したことがやりたい」と思いました。

今までのロサンゼルスやオーストラリアの旅は、全部僕の為でした。
僕だけの財産にはなったけど、他の人には何も与えられていない。

それで「もっといろいろな人に旅を楽しんでもらいたい」と思って、海外の情報や旅行記録を発信し始めました。

「ここだったら僕も行けるかな」というその1歩に繋がって欲しくて、世界一周を選んだんです。


(ボリビア ウユニ塩湖)

人生が少しだけ楽しくなる考え方を知ったパリ

–実際に車椅子で世界一周をして、特に印象的な思い出はなんですか?

印象的な思い出のうちの1つのエピソードは、フランスのパリで僕の考え方が変わった経験です。

パリ初日の印象は微妙。
ホテルに着いて受付のドミニクという男性に「バリアフリールーム取れていますか?」と聞くと「取れていないよ。でもとりあえず部屋は空いているから、案内する」と言われたんです。

彼のことは見た目がピエールっぽいのでピエールと名付けました(笑)

(フランス パリ|手前が三代さん、奥がピエール)

「なんだかなぁ」と思いながらも翌日は心機一転、天気がよかったのでルーブル美術館に行きました。

その手前にあるチュイルリー庭園を歩いていると、3人組の女性が「私たち、車椅子や聴覚障害の人をサポートしている団体なんです。もしよかったら署名をお願いできませんか?」と話しかけてきました。

ちょうどその庭園は砂利道で車椅子だと不便だったのでいいなと思い署名をしていくと、最後に「募金」という欄があったんです。どういうことなのか聞いてみると「少額でいいので募金をお願いしている」ということでした。

でも僕は昨日イギリスからパリに来たばかりなので、ポンド(イギリスの通貨)しかもっていなくて唯一持っていたのは当時の日本円で3000円ほどの20ユーロ1枚。

募金では出せないと思い断ると「小銭でいいです」というので財布を開くとその瞬間、「なんだ、20ユーロ持ってるじゃん」と20ユーロを引き抜かれてしまったんです。

ずいぶん荒い募金だなーと思いながらもルーブル美術館へ行き「さあ両替用に持っていた日本円50,000円分をユーロに替えよう」と財布を見ると、ないんです。

振り返ってみるとその50,000円は20ユーロの隣に入れてあって、さっき募金として20ユーロを取られた時に一緒に取られたんだと気が付きました。

「あー終わった」と思いました。

それでホテルの受付のピエールに「聞いてくれよ!こんなことがあってさ!」と話すと、「もっと残念なお知らせがある。それは署名詐欺という犯罪だ」と知らされ、僕は初日でパリが嫌いになりました。

何かあったら連絡をくれ、というピエールと連絡先を交換すると次の日の朝、早速ピエールからメールが入っていました。

昨日は残念だったね。ホテルの人達みんなで相談したんだ。三代は昨日悲しいことがあった。僕たちでそれをサポートしよう。今後の残り少ないパリの旅行を、僕達でアテンドしてあげる。

するとメールの通り僕は素泊まりだったのに次の日から食事が出るようになり、ホテルに帰ると毎日みんなが「今日はいいことあった?」とポジティブな話をしてくれるようになったんです。それで僕もだんだん楽しくなってきて、最終的にはパリも悪くないかなと思えました

何日か経ってピエール に「本当にありがとう。君のおかげで旅が楽しくなってきた。もしよかったらお礼にご飯をご馳走したいんだ」と言うと、
もちろん、ありがとう。もしよかったらまたルーブル美術館に行かないか?」と言われました。

「え、僕のトラウマスポットって事覚えてるよね!?」と言っても、それでも行こうと言うので結局またルーブル美術館に行くことにしたんです。

ピエールはすごくルーブル美術館に詳しくて、本当に楽しい時間でした。
しかもルーブル美術館から出るとキレイな夜景が広がっていたんです。

僕が「ピエール、本当にありがとう。すごく楽しくていい思い出になった。僕はパリが好きになったよ」と言うと彼は足を止めて星空を眺めながらこう言ったんです。

「僕はね、ルーブル美術館が世界で1番好きなんだ。だから三代がルーブルを嫌いになったと言ったとき、すごく悲しい気分になったんだ。だからこそ僕はもう1回三代をこのルーブルに連れてきて、悲しい思い出を楽しかったルーブルの思い出に変えてもらいたかったんだ

その時「考え方の問題なんだな」と思いました。僕は最初パリが嫌いになりましたが、いろいろな思い出が積み重なって最終的にはパリが好きになりました。

例えば、初めましてのときにあまり対応が良くなかった人が付き合ってみたらいい人だった、というパターンがありますよね。それと同じように「今後悪いことが起きても、この後にいいことが待ってるんだろうな」と考えられるようになったら、人生って少しだけ楽しくなるんじゃないかなとピエールが気付かせてくれたんです。

 

世界各地での障害の扱い

ーー世界各地を見てきて、バリアフリーについて思うことはありますか?

バリアフリーは、本当に国によって千差万別でした。

日本やアメリカ、ロンドン、オーストラリア等はすごく設備が整っている方だと思います。特にアメリカは先ほどのハワイの話であったように、障害を感じないくらい設備が整っていました。

でも「南米や東南アジアの一部の国は車椅子だと全然旅ができないのか?」というとそうではないです。

実際に僕は旅ができたわけであるし、それがなぜできたのかというと設備が整っていない部分は人の力でカバーできたからなんです。


(ケニア マサイ族の村)

そうやって”障害はあったけど、人の力でカバーしてひとりで旅ができた”というのは僕の自信になりましたし、設備面でのバリアフリーが整っていなかったとしても、こういう出会いを楽しんで乗り越えていく旅のほうが楽しいんじゃないかなと思いました。

なので僕は旅の計画はあまり立てずにふらふら歩いて出会いを楽しんでいます。
こういう、人との出会いを楽しむ旅が楽しいと思ってくれる人が増えたらうれしいですね。

日本でおすすめしたい町

ーー人との出会いと言えば、Twitterで山形県南陽市を「日本で一番あたたかい場所」と言っていましたね。

山形県南陽市には、そこで活動している山形バリアフリー観光ツアーセンターさんに招待していただき、講演と観光の為に行きました。

山形県で暮らしている車椅子ユーザーの方は本当に意識が高くて、市長を巻き込んで「心のバリアフリーが素晴らしい観光の町にしていきましょう」と活動しているんです。
そもそもの人間性が優しい気持ちを持っているのに、さらに高い意識を持っているのはかなり強いと思います。

正直僕も半信半疑で行きましたが実際に行ってみたら最高だったので、いい場所だということを伝えたくてTwitterで発信しました。

意識をちょっと変えるだけでこんなにも町が変わる、山形県南陽市はその例の1つだと思います。


(南陽市 熊野大社)

三代達也の現在と今後の活動

ーー現在の活動について教えてください!

大手旅行代理店のエイチ・アイ・エスさんと提携を結んで旅行の監修、国内外の観光地のバリアフリー調査を行っています。

講演では僕の旅の経験や、”どうやってどん底から1歩踏み出して最高に幸せだと思えるような人生を歩んでいるのか”を話しています。


(エイチ・アイ・エス主催|山下マヌーさんとのコラボトークライブ)

それから、2019年の7月に世界一周旅行を執筆した本「No Rain,No Rainbow 一度死んだ僕の、車いす世界一周」を出版したりコラムを書いたりと、車椅子と旅に関連した仕事を中心に行っています。

ーー今後やってみたいことはありますか?

今まではひとりでやることが多かったのですが、次は導く人になりたいと思っています。

実際、2020年の6月に”車椅子トラベラー三代と行くハワイ”というツアーが決定して、人も集まっています!

今まではひとりだったからいろいろな旅の経験ができましたが、次はいろいろな人に配慮してしかも全員が楽しめるようなツアーを作りたいと思っています。それができたらすごく幸せだなと思うんです。

ひとりで旅に出るのには多少なりとも勇気が必要でした。だから「旅行に行きたいけど1歩踏み出すのが怖い、でもみんなと一緒なら行けるかな」と思っている人たちを、どうにか導きたいと思っています!

(ジンバブエ ビクトリアの滝)

メッセージ

社会の障害とたたかう人へ

実体験から、無理に人生を変えようとしなくてもいいと思っています。でも、人生が変わるきっかけがきっとあると思うんです。

僕は師匠に「チャンスっていうのは足元に星の数ほど落ちている。けどそれに気づけるかは自分次第だ」と言われたんですけど、当時は引きこもっていたし「チャンスなんて別にいらねーし、何それ」と思っていました。
だけど、ふとしたきっかけでチャンスを拾ったときにちょっとだけ人生が明るくなるってことがあったんです。

なので、辛いときにすべてを強制的に悲観するのではなくて、何かきっかけがあったときにちょっとだけ勇気を出して1歩踏み出してみると人生が良くなると思います!

 

これから車椅子で旅をしたい人へ

今いる場所やルーティンから、少しだけ踏み外してみてください。
例えば、いつもと違う通勤ルートを歩んでみたり、都内だったら頑張って1個手前の駅で降りてみたり。
そうやって、いつもの道から1歩外れてみると全然違う景色が見えてくると思うんですよね。
こんなお店あったんだとか、裏道に行ってみたらすごくいい出会いがあって、そこから人生が変わっていったりとか。

僕は旅=海外旅行だとは思っていなくて、大きな枠ではいつものルーティンから少し外れたり挑戦することが旅だと思っています。
なので無理して海外旅行に行こうとしなくてもよくて、僕が引きこもりだったときは外に出ることすら大冒険だったような、ちょっとだけ自分の人生のルーティンを変えてみることが大事なのかなと思っています。
そうしたらきっと、新たな世界が開いていくと思います!

 


9か月間、介助者なしで車椅子世界一周を成し遂げた三代さん。彼のエピソードから1歩踏み出す勇気をもらった方も多いのではないでしょうか。
そんな三代さんの著書「一度死んだ僕の、車いす世界一周」には世界各地のバリアフリー情報はもちろん、彼の価値観を変えた旅先でのたくさん出会いが詰まっています。
人生のバイブルとなる1冊。
今回のインタビューでは語り切れなかった旅の思い出の数々は本でチェックしてください!

三代さんからメッセージ
海外旅行の魅力はもちろん、”人間っていいものだよね”ということをダイレクトに伝える1冊です。

人生の底にいた三代達也という人間が、人生を楽しく謳歌できるようになるまでどのようなステップを踏んできたのかが載っています。
この本を持って旅に出てくれる人が1人でも増えたら嬉しいです!

【編集後記】
今回インタビューしたのは車椅子トラベラーの三代達也さん。初めてお会いしたのに元から友達だったような、不思議な魅力を持ち合わせた人でした。
人との出会いを本当に大切にしている方で、インタビュー後もTwitterで連絡を取らせてもらっています!
車椅子で活躍している=強いというイメージを持たれがちですが、三代さんはとてもラフで柔らかい雰囲気を持っています。
そんな三代さんなので、これからも誰かの1歩に繋がるような人生を歩んでいくと思います。


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