株式会社LUYL 代表取締役社長
布施田祥子 ふせださちこ(Facebook)
1975年埼玉県生まれ。
2011年に第一子を出産後8日目に倒れ、12日間意識を失い、大静脈血栓症と脳内出血を診断される。2015年、持病の潰瘍性大腸炎が悪化し大腸全摘、人口肛門造設手術を受ける。2017年、誰にとっても「選択肢のある日常」が当たり前になる世界を目指し、セレクトショップ「Mana’olana」を立ち上げる。
好きなものを身に着け、好きな場所へ行き、好きなことをする。
当たり前に思えることも、一度離れてみると「かけがえのないもの」だと気づかされることがあります。
今回インタビューしたのは、株式会社LUYLの代表の布施田祥子さん。潰瘍性大腸炎や脳出血を経験し、現在も左手足に麻痺が残る障害当事者です。
株式会社LUYLは、下肢装具を着けている人でも楽しめるオシャレな靴を販売する、セレクトショップ「Mana’olana」を展開しています。
「誰にとっても選択肢がある社会」を見据えて活動する布施田さんに、装具にも合う靴のブランドを立ち上げた経緯、想像力を持つことの大切さについてお伺いしました。
目次
障害がある人の靴について
下肢装具とは
–はじめに下肢装具とはどのようなものなのでしょうか。
主に脳卒中の方が多いのですが、病気や障害、事故によって運動麻痺や感覚麻痺、半身麻痺になることがあります。
そうした方々が歩行する際に、その歩行を補ってくれるものが下肢装具です。立ったり座ったりする行為が自分の意思で難しい場合もあるので、日常生活で必要とされる装具になります。
膝から下の短下肢装具、大腿骨から下の長下肢装具といろいろ存在し、装具だけでも日本国内で50種類以上あるといわれています。そのうち私が使っているもののが2種類あり、現在はその2種類をモデルにして対応できる靴を開発しています。
一般的な障害者の靴の特徴について
–障がい者の靴について、一般的に普及しているサイズや価格、種類について教えてください。
今、広く普及しているものですと、機能性をメインに「脱ぎ履きがしやすい」ことを意識して開発されているものが多いです。
介護用の靴や、リハビリシューズを販売している企業さんや、子供用の運動靴を開発する企業さんが展開するマジックテープで覆うタイプがありますね。インターネットから購入でき、左右の靴はばら売りされ、幅も左右でそれぞれ用意されています。
装具をつけるということは、その分つけた方のサイズが大きくなります。23cmのサイズを履いている方ですと、装具をつけた足では、1、2センチサイズアップした靴が必要になるんです。
値段はリーズナブルなものですと、片方で約2000円から販売されています。サイズについては、左と右別に自分に合う靴を購入するかたちになりますね。
Mana’olanaの靴の特徴
–Mana’olanaさんの靴にはどのような特徴があるのでしょうか。
従来、販売されていた靴には確かに機能面で優れている部分があります。しかし、私のような当事者の立場だと、あまり履きたくないなと感じることも正直あったんです。
私は入院中、紹介された装具とそれに合わせた靴を見て、自分から進んで履きたいと思えませんでした。
自分はバスケットシューズのコンバースというメーカーが好きでたくさん持っていたので、せめてコンバースが履けるような装具はないでしょうかと相談しました。
Mana’olanaの靴は、下肢装具ユーザー用として購入できますが、とにかく見た目をスタイリッシュに、健常者が履いていたり、靴屋さんで並んでいても違和感のないものを目指しています。
装具は何十種類以上とあり、なかでもシェア率が高いものにプラスチック製の装具があります。その装具には、残念ながらまだ対応できていないのですが、私がつけているゲイトソリューションデザインR1とオルトップという装具については、左右同じサイズで履けるように設計されています。
私たちの販売する靴では、健常者の人が見ても「履きたいな」「かわいい」「かっこいい」と思ってもらえるようなデザインを心がけています。
もちろん障害者や介護が必要な方ですと、片手で動作することも多いので、機能面も考えながら作っていますね。
(試着会の様子)
ブランドとしては現在、メンズとレディースを一足ずつ用意していて、両方ともサイズ違いでオーダーができます。
セミオーダーという形式を採用しているため、フルオーダーより安く購入が可能です。
通常は対面で試着会を行い、サイズを合わせていただいておりましたが、現在は、新型コロナウイルスの影響もあるためオンラインで試着会を行っています。
詳細はBASEの「セレクトショップ・マナオラナ 」まで、お気軽にお問い合わせください。
–どのような方々が購入されているのですか。
事故や病気で下肢装具をお使いの方、義足や車椅子の方など、いろいろな病気や障害を持つ方に購入いただいています。また、健常者の方にも、履きやすさでご購入いただいているケースもありますね。
–Mana’olanaとして、今後の展望についてお伺いできますか。
現状の課題として、Mana’olanaの靴に合う装具は絞られているので、そこのニーズに応えていきたいです。
最近、左右のサイズ違いでオーダーすることも可能になりました。対応できる装具の種類は、少しずつ広がっています。
装具に合うおしゃれな靴を|Mana’olana代表 布施田祥子
自己紹介
–改めてになりますが、布施田さんの自己紹介をお願いします。
Mana’olanaとしては、今年の8月で9年目になります。
2011年に娘を出産して、その八日目後に脳出血になりまして、そこから2週間弱、意識不明を経験しました。奇跡的に目は覚めたのですが、それから2015年に10代の頃からあった難病の潰瘍性大腸炎という病気が再燃してしまい、大腸全摘出の手術を行いました。なので今、私は人工肛門をつけて生活しています。
手術後、大分調子は良くなったので、5年ぶりくらいに社会復帰をしました。最初は1年くらい一般企業へ電車通勤していましたね障害者用雇用という形態で採用いただきました。
当時は事務系の仕事をしていたのですが、言われるがままに業務を進めることが自分の性に合わないと気がつき(笑)
そのようにお話はしていたのですが、やっぱり障害を持ちながら小さい子を育てて、通勤して働くという状態では、できることの範囲はある程度決まってしまうんですね。例えば、私は片麻痺があるのですが、杖を突いて通勤するとなると、大雨といった天候の悪化が起こると、突発的に休む必要が出てくるんです。
そうしたことが続けば、締め切りがある仕事や責任のある仕事は任せられないじゃないですか。
結果的に、事務整理の仕事が増えていったのですが、どうしても「自分がやりたいこと」と「社内で実際にできること」とのギャップが生まれてしまって、ストレスを抱えながら、働いていましたね。
障害があってもできることはあるはずだし、もっと自分の能力を活かした仕事がしたいなと、少しす考え始めました。それが、2017年に入ってからになります。
数か月ほど経った頃には、「自分で何かできないかな」と思っていました。その時はまだ起業にすることは考えていませんでしたが、リハビリの外来に通っているなかで、少しずつ「やりたいこと」のイメージが具体的になっていきました。
リハビリの先生は私と同じ年齢で、いろいろと話し合える仲でした。
会社、仕事、通勤などいろんなことを話していくなかで、先生は「自分の好きなことをやっていた方が良いよ。ファッションの力で福祉を変えてよ」と励ましてくれたんです。自分としても障害者の靴に問題意識があったので、そこから本気で靴を作ってみようという気持ちになり、今に至ります。
Mana’olana立ち上げのきっかけ
(「地域未来投資コンテスト」グランプリ内閣総理大臣賞受賞)
–Mana’olanaを立ち上げる以前に、靴に対する知識や起業の経験はあったのですか。
全くなかったです(笑)
ただ幼い頃からファッションが大好きで、その中でも特に靴が大好きだったんです。
でも障がいを持ったことでこれまでの靴が全然はけなくなってしまって、そこを変えるためにはまず、靴作りをはじめようと思ったんです。障害を持ってからは、これまで持っていた靴が履けなくなり、100足近くあるうちの7~8割を処分することになりました。なので、やっぱり最初に作るなら靴だなと。
現在の開発工程として、私は絵が全然できないので、スクラップブックに好きなデザインを集めて、その内容をメーカーさんと共有しています。
靴のラインや好みについては、はっきりしているので、伝えたイメージを絵にしてもらって、そこからアップデートを重ねていく流れですね。
経営についても全然勉強していないんですよ、私(笑)
小さいときから、ファッションと海外にすごく興味があったので、そうした仕事をしようとは考えていました。海外移住をして働くか、海外を行き来するファッションバイヤーになろうと。
たまたま中学・高校と英語は得意だったので、専門学校に進み、英語と貿易関係の勉強をしていました。なので、経営については最初から知識や経験があったわけではなくて、勢いと思いでスタートしました。
実際にMana’olanaの靴を使用している方の声
「見た目も履き心地も両立。高級感があり、細部まで手抜き感や安っぽさがどこにもない。」
「製作段階から納品まで一貫して丁寧な対応をして頂いて成果物にも満足している。」
障害があっても選択肢のある日常へ
猪狩ともかさんとの対談
–以前、猪狩ともかさんと対談されていましたよね。対談のなかで気づいたことなどありますか。
猪狩さんは下半身、私は左半身に麻痺があります。同じ半身麻痺ではあるものの、全然不便さが違うなと感じました。もともと想定していた部分ではありましたが、改めて参考になりましたね。
私たちが、片手しか使えないとなったら、不便なものは身近に溢れていますよね。「片手でネックレスできますか」とか「片手で腕時計をつけられますか」みたいな。
麻痺している側に、片手で腕時計を付けられたとしても、麻痺でぶらぶらしている手にある時計を見ることはないですよね。そうしたら、動く方につけなければ意味がないのですが、動く方に時計はつけられますかという話になると、それは厳しいと思います。
そうした当事者の視点で考えられる人は少ないのではないでしょうか。
今お話したような内容は、普段私がモノづくりをしているなかでも、すごく考えていることなんです。猪狩さんとの対談を通して、部位によって悩み事や不便さは大きく変わってくるし、やはり問題を抱える人の視点で商品開発を進める必要があるなと感じました。
同じ障害を持っていたとしても、一括りにすることはやはりできないですね。
Mana’olana ブランドを通して実現したい未来
(色選びの様子)
–Mana’olanaを通して、実現していきたい未来について教えてください。
障害の有無にかかわらず、誰にとっても選択肢がある、どんな状況になったとしても、自ら自由に選べる環境にあると良いと思います。そうした環境づくりに関っていきたいです。
私たちの会社は、靴屋さんを目指しているわけではありません。靴はあくまで選択肢の1つです。まずは靴をきっかけにして、自分に自信が持てたり、一歩踏み出せる人が増えたらとスタートしました。
「今は履けないけれど、Mana’olanaの靴を履きたいから頑張ります」というお声もいただいているので、Mana’olanaを通して誰かの背中を押してあげることができれば嬉しいです。
障害当事者、そのご家族へのメッセージ
(自由が丘イベントでの1枚)
障害や病気によって、あきらめてしまう人、自信がなくなってしまう人は少なくないのではないでしょうか。
取材時によく話すのですが、私が最初に倒れたとき、お医者さんからは「寝たきりになるかもしれない」と言われていたんです。「良くても車椅子だよ」と。
最初は他人事に感じる部分もあったのですが、実際に身体が動かせなかったり、1人でトイレに行けないと分かると、やっぱり悲しかったんですね。泣いていた時期もありました。でも、5か月後に予定していた、大好きな「嵐」のライブに絶対に行けると信じていたので、苦しいリハビリも乗り越え、ちゃんと名古屋ドームまで行くことが出来たんです!
「こうしたい!」という強い思いや、「そうなるんだ!」という根拠のない自信があるときって、神さまにエネルギーを与えてもらえる気がします。
事業をやっていても、「あの人に会いたい」と思っていたら、本当に会えたり。
自分がオストメイト(人工肛門・人工膀胱保有者)であることで自信を失ってしまう人も少なくないと思います。
以前、若い女の子から「友人や職場はもちろん、好きな人が出来てもカミングアウトできない」「一生結婚もできないのではないか?」と相談されたことがあります。これは、カミングアウトしたことで人から拒絶されるのではないかという不安からです。実際、誤った理解で傷ついたり、差別を受け、苦しんでいる人もいると聞きます。
でも、私は人工肛門を付けていることも恥ずかしいことだとは思いません。生きる為に必要なことだし、それが今の私だから。麻痺障害もそうです。
そう思えるまでには時間がかかりましたが。。
だから病気や障害については必要があれば堂々と告白し、一人でも多くの人に知ってもらう機会を作ります。当事者自身が、諦めないこと、自分に自信を持つこと、そして一歩踏み出し、社会と関わっていくことで、世の中も変わっていくことがあると思います。
私たちは、Mana’olanaというブランドを通じて、病気や障害がある無しに関わらず、多くの人の心の後押しをしたいと思っています。
社会に向けてのメッセージ
–最後に社会へ向けてメッセージをお願いします。
社会とか当事者とかではなく、1人1人がもっと想像力を持って相手に寄り添えると良いのではないでしょうか。
日本は心のバリアフリーがまだ浸透していないと感じることがあります。ただそれは幼いころからの社会環境に影響していると思います。当事者とコミュニケーションを取る機会が少ないからこそ、彼らが困っているときに「どうしていいかわからない」ということがあるのだと思います。
だからMana’olanaでは、教育面においても関わりたいと思い、今年はモノづくりを通して福祉を学んでもらうプロジェクトを立ち上げました。
相手の立場になって自然と考えられる人が増えれば、もっと優しい社会になるのではないかと思います。
私が、大腸全摘出の手術をするとなったとき、「なんで自分ばっかりこういう経験をするのだろう」と考えたんですね。片麻痺が既にあって十分大変なはずなのに、なんでもう1個障害を持つのかなと落ち込んでいました。
その時、母から「物事の捉え方」について教わりました。
起きてしまったことは変えられないけど、捉え方次第で感情が変わり、行動が変わる。そうするとその先の未来も変わってくるのだと。
(マナオラナHPはこちら)
【編集後記】
今回の取材は、新型コロナウイルスの影響もあり、急遽オンラインで実施しました。布施田さんには気さくに接していただき、起業までの経緯や靴の開発工程など詳しくお伺いすることができました。株式会社LUYLは、Lights Up Your Lifeの頭文字をとって名前がつけられています。そして、Mana‘olanaはハワイ語で「自信・希望」を意味するそうです。それぞれの名前に込められた想いが、布施田さんのお話を通して少しずつ伝わってくる時間でした。
(編集:伊藤弘紀|Twitter)