コラムニスト
伊是名夏子 いぜななつこ(Twitter)
沖縄出身。早稲田大学第一文学部卒業。
骨形成不全症という障害があり、身長100cm、体重は20kg。難聴で右耳は全く聞こえず、左耳は補聴器を使用。
15人以上のヘルパーさん、ボランティアさん、ママ友、近所の方々と、7歳と5歳の子どもの子育てをしながら生活している。中日新聞、東京新聞やハフポストで連載。著書に『ママは身長100cm』(ディスカヴァー・トゥエンティワン)がある。
「助け合い」という言葉から、どのようなイメージを思い浮かべますか?
日常レベルの助け合いから国家レベル、災害時など様々な形があります。
今回インタビューしたのは、コラムニストの伊是名夏子さん。
「骨形成不全症」という骨が折れやすい障害があり身長は100cmの伊是名さんは、7歳と5歳のお子さんのママ。15人以上のヘルパーさん.ボランティアさん、ママ友、近所の方々と助け合いながら子育てをしています。
できないことは助け合い、自分を大切にするためにはどのようにしたらいいのでしょうか。
骨形成不全症
骨がもろく弱いことから、骨折しやすくなり、骨の変形を来す 先天性 の病気。目の強膜が青くなったり、難聴が見られたりすることもある。患者数は約6000人、2万人に1人の難病。(参照元|難病情報センター)
目次
助け合う生き方|伊是名夏子
特別支援学校と普通学校
ーー伊是名さんは小中学校は養護学校(現:特別支援学校)で、高校から普通学校に行っていますよね。普通学校に行ったのはどうしてですか?
私は骨折や手術で学校を休むこともよくあったので、私に合ったペースでみっちり勉強できるのが養護学校のいいところでした。
でも、クラスの生徒は多くても転校生と合わせて2人だけ。ほとんど先生とマンツーマンだったので、休み時間も放課後も楽しくなくて「たくさんの人の中で勉強したい」と思っていました。
例えば『ドラえもん』ではのび太が授業中に居眠りをして先生に叱られたり、『ちびまる子ちゃん』ではまるちゃんが宿題を忘れてタマちゃんに教えてもらったり。
そういう学校生活に憧れていました。
本当は中学校も普通学校に行きたかったのですが叶わず、高校から行きました。
特別支援学校(学級)
平成19年4月から、児童生徒等の障害の重複化に対応した適切な教育を行うため、従来の盲・ 聾・養護学校の制度から複数の障害種別を対象とすることができる特別支援学校の制度に転換。また、小・中学校における従来の特殊学級は特別支援学級に改称。(参照元|厚生労働省)
ーー普通学校に進学して、憧れていたような学校生活は送れましたか?
部活は基本は放送部だったのですが、ほかにも写真部やボランティア部に入ったり生徒会活動をしたり、たくさんの友達がいるからこそできることをして楽しかったです。
高校は「沖縄県立首里高等学校(以下「首里高校」)」という首里城に隣接した高校に行きました。
首里高校は沖縄で1番古い高校で、私が通っていた当時はエレベーターはなくて階段だらけでした。なので私は、各階に車椅子を置き、友だちに抱っこしてもらい、移動させてもらっていたのですが、この助け合う関係が当たり前だったんですね。
(学校が伊是名さんのために作ってくれた車椅子トイレ。
みんな「夏子は抱っこして一緒に移動するのが当たり前」という考えで、私が車椅子であることを特別視していませんでした。
今考えると不思議ですが、そんな友だちと過ごす恵まれた毎日でした。
ーー友達がそうやって感じていたのは、伊是名さんの接し方や頼み方が自然だったからなんですかね。
私が特別「やってほしい」と思っていなかったり、友だちのタイミングをみてお願いしていたのもあると思います。
ただ首里高校には、必ず遅刻してくる子や、あまり話さないけどとても絵が上手な子など、いろいろな人がいて「違う」のが当たり前の環境だったんです。
それを表すエピソードが2つあります。
1つは、当時の担任の先生の話です。首里高校はグラウンドが小さいので、約2キロ離れた場所で運動会の練習をしていました。
運動会前になるとほぼ毎日そこに歩いて行くのですが、担任の先生が、他の先生から「夏子さんは、送っていくの?」と聞かれたらしいんですね。
担任の先生はそれを聞いて初めて「そっか、夏子は送っていかなきゃいけないんだ、車椅子だった!」と気づいたそうです。
もう1つは、友達の話です。
私は今年38歳ですが、4,5年前から障害のある子どもを生んだり、障害のある人と一緒に働いていたり、障害のある人とふれあう仕事をはじめた友だちから連絡が来るようになりました。
「今まで障害者と関わってこなかったな、障害ってなんなんだろうと考えていたんだけど、そういえば夏子は車椅子だったね」と言うんです。
みんな、私を「車椅子」というカテゴリーで見ていなくて、それ以上に「うるさい」とか「いつもお菓子を持ってる」という認識の仕方をしているんですよね。
きっと、見た目がミックスの友だちをみているうちに「ミックス」のカテゴリーを忘れちゃうような感覚なんだと思います。
ーー伊是名さん個人としてみてくれているんですね。大学に入ってからはどうでしたか?
高校の時よりは、もう少し「車椅子」と認知されていたと思います。
高校の時は手動車椅子を使っていたのでほとんど1人で移動することはできなくて、常に誰かが一緒に行動してくれていました。でも上京して大学に入ってからは電動車椅子を使うようになり、1人で移動することも増えたので、それもあって「車椅子の夏子」という印象が広まっていたのかもしれないです。
ただ高校の時と同じように、電動車椅子の「ブーン」という音が聞こえたら、みんなは「うるさいのがきたよ!」と言っていました。
人生を変えたデンマーク留学
(デンマーク、フォルケホイスコーレ。
ーー伊是名さんは行動力がありますよね。
自分で何かをするのが楽しいんですよね。
それから、1回骨折をすると1か月ほど寝たきりになって外出ができなくなるのも理由の1つとしてあると思います。
小さい頃は年に2、3回骨折をしていたので、楽しみにしていた運動会や旅行に私だけ行けないことも多かったです。だからこそ、できるときは自分から動いていきたいし、自分から動かないと周りの人は動いてくれないとわかったんです。
例えば、テレビのCMを見て、新発売のお菓子が出たとします。「食べたい」と思ったら歩いて買いに行けばいいのですが、私にはそれができません。
そんな時はまずお店に電話をして「新発売のお菓子は入荷していますか?」と聞き、無ければ「いつ入荷するのか」あれば「取り置きができるのか」を聞きます。
それを両親や姉に「新発売のお菓子出て、あのお店で取り置きしてもらったから、いつまでに取りにいってね」とお願いをするんです。
自分でできないことは誰かにお願いする必要がありますが、人に動いてもらうためにはこうやって下準備が必要です。下準備をしないで親に「買ってきて」と頼むと別のもの買ってきたり、何も買ってこないこともあるんです。
売っていなかった場合、自分のためなら他のお店を周って買うかもしれませんが、人のためにそこまでしてくれるかはわからないですよね。
なので、できる時は自分で動いていきたいんです。
ーー大学でも活動的で、デンマークのフォルケホイスコーレに留学してますよね。どんなことを学びましたか?
デンマークへの留学は、私の人生を大きく変えるものでした。
まず、デンマーク人は自己紹介の時に「自分の得意なこと」と「苦手なこと」を言うんです。「英語は得意だけど、ドイツ語は苦手」とか「ゲームは得意だけど、掃除は苦手」とか。
どうして初対面の人にそこまで言うんだろうと思いました。
でもデンマーク人は1人1人違うのが当たり前なので、できないことを恥ずかしいと思わないんです。「できないなら補えばいい」「助けを求めるのは当たり前」という考え方なんですね。
私は上京して、ヘルパーは付けずに1人暮らしをしていました。洗濯物を干すのには普通の人の3倍の時間がかかりますし、掃除機はかけられないですし、安い5kgのお米ではなくて自分が持てる範囲の重さの2㎏のお米を買っていました。
できないことをできないなりに工夫してきたんです。
ですが、デンマーク留学を通して「できないことはできないで、人の手を借りてもいいんだ」と思えました。
フォルケホイスコーレ
デンマーク流民主主義の基盤を作る「国民学校」。17歳以上であれば誰でも入学することができる。試験や単位、成績はない。全寮制で、生徒だけでなく、先生も同じ学校の中に暮らし、学校生活を通じて「自分が何者であるのか」を知り、社会は多様な他者との関係で成り立っていることを体感していく。(参照元|一般社団法人IFAS)
ーー自分のできないことも、相手のできないことも認めて補い合う。
そうです。
補い合えるので、デンマーク人は少しのことで学校や仕事を休むんです。
例えば、遠足の日や保護者面談の日でも担任の先生が休むことがあります。「休んだら迷惑をかける」という考えがなく、「お互いさま」なんです。
日本では「新型コロナウイルスの感染者が頭痛を我慢して出社していた」というニュースを耳にします。「頭が痛いくらいで会社を休めないよ」という風潮が日本ではよくありますよね。
なのでデンマーク人が日本に来て「頭が痛くても、休めないあなたにはコレ!」といった風邪薬の広告を見て「どうして頭が痛いのに会社に行くの?」と驚きます。
デンマーク人は自分のことを大切にしていますし、大切にしてもいい環境なんですよね。
「障害者」の結婚と子育て
(パートナーとは同じ大学の国際協力NGOで知り合いました)
ーー伊是名さんは大学で出会った方と結婚されたんですよね。結婚するときの周りの反応はどうでしたか?
パートナーの両親に猛反対されました。面と向かって「障害があるなんてあり得ない、許さん」と言われたり、物を投げられたりもしました。
難しいのが、彼のお父さんが養護学校の先生、お母さんは小学校の先生で、障害のある子と関わっていることでした。
なので私が「1人暮らしをしていました」「留学をしていました」「できないことはヘルパーさんが助けてくれます」と言っても、一切聞いてもらえないんです。
お父さんやお母さんは「自分は障害者のことをよく知っているから、障害のある人が家に入るとどんなに大変かわかっている」という考え方なんですね。
つまり私が今まで1人暮らししてきたことや留学してきたことを認めるというのは、今まで障害者を見て感じてきたことや学んできたことを根本からに覆すことになるんです。
でもそれは社会や、パートナーの両親が抱えていることの問題であって、私の問題ではないと気づいたんです。
結婚式も1回キャンセルして1年以上話し合いを続けましたが、「私がここまで傷つく必要はないかな」と思い、区切りを付けました。
ーー仕事で関わるのと自分の家族になるのとでは考え方が変わるんですね。
結婚をするときに1番悲しかったのは、友だちや同僚に「パートナーの両親が結婚に反対していて…」と話したときに「仕方がないよ」「親の悪口は言っちゃだめだよ」と言われたことです。
当時一緒に小学校の先生をしていた同僚や、仲良くしていた友だち、私のことを知っていて、認めてくれていると思っていた人たちがそう言うので「障害者の結婚は反対されて当たり前なんだ」と思いショックでした。
ーー高校の時の友達は…?
もちろん「ひどい親だね」と言って応援してくれる人もいましたし、「反対されるのは当たり前だよ」という人もいました。
「親の悪口は言っちゃダメ」「結婚には親の許可が必要」と言う人もいましたが、私はそれは違うと思います。親なら暴力してもいいのか、その暴力を悪く言ってはいけないのか、というと違いますよね。
事実婚とハイリスク出産
ーー結婚に親の許可は必要なのでしょうか…?
やっぱり、祝福されて結婚したいとは思います。
ですが私は元々、戸籍制度には反対です。名字も変えたくなかったですし、婚姻届けを出さない事実婚をすると決めていました。
個人の生き方よりも家族という単位を尊重したり、ウチとソト文化のもとになった戸籍制度。結婚の猛反対を受けて私は戸籍に基づいた結婚はしないと、より思いましたね。
事実婚
法律上の婚姻手続きをおこなっていないものの、夫婦と同等の関係性を有した人たちの状態を指す。(参照元|Reライフ.net)
ーー伊是名さんは事実婚をして、出産するときに戸籍に基づいた結婚(入籍)をされましたよね。そうしないと、どんなことが不便だったんでしょう?
私の場合、骨が折れやすく、身長も100cmしかないのでハイリスクな出産でした。
もし事実婚のまま出産して私が死んでしまったら、子どもの親権は夫に移らないんです。書類を書けばいいのですが、トラブルがあったときに書類を書くのも嫌じゃないですか。
それから事実婚の場合、出生届は基本母親が出す必要があって、夫が出すとなると別途めんどうな手続きが必要になります。
ただでさえ大変な出産のときに用意する書類が多いのもめんどうですし、なにかトラブルがあったときのためにも婚姻届けを出しました。
ただ、婚姻届けを書いた時、一緒に離婚届も書いています。
第1子を出産したらすぐに離婚届を出す予定だったのですが、夫の家族保険の手続きに時間がかかり、なかなか出せませんでした。
それから私は第2子として里親や養子縁組をしたいと思っていたのですが、その条件に「婚姻3年以上」と設定しているところが多かったんです。
「1回婚姻届けを出したし、このまま3年間婚姻していた方がいいのかな」と思っているうちに、2人目の子どもができました。
第2子を産んで、やっと離婚届を出せました。
私は相手の名字になるのも嫌でしたし、個人として尊重されない、家族ベースの括りになるのも嫌だったんです。
ーー旦那さんは事実婚に賛成でしたか?
賛成でしたが、1度婚姻届けを出した後に離婚届を出すのにはしぶっていました。
夫の会社が事実婚を認めていて、家族手当をもらえたのはよかったです。
ただ、結婚していることを証明するために毎年会社に事実婚届を出さないといけないですし「戸籍上だけ離婚して事実婚に戻りました」と会社に報告するのがめんどうだったそうです。
こういうめんどうな制度は、ひとりひとりを尊重して生きやすくするために作られたものではないですよね。
私はそれを形で示すために、めんどうではありますが婚姻届けを出さない生き方を選びました。そうやってしか変えていけないと思ったんです。
今は夫婦別姓の裁判も始まってきて、少しずつ変わってきているなと感じます。
ニュー選択的夫婦別姓訴訟
平成30年1月9日、選択的夫婦別姓制度の実現を求め作花知志弁護士を代理人として青野慶久(サイボウズ株式会社代表取締役)をはじめとする4名の原告が国を提訴した裁判。戸籍法上で氏を選べる制度の有無について不平等性を問い、婚姻前の氏を戸籍法上の氏(呼称上の氏)として称する法改正を求める。
(参照元|ニュー選択的夫婦別姓訴訟)
子育てで大切にしていること
ーー骨形成不全症での妊娠ケースは少ないですよね。リスクが高くても子どもは産みたかったんですか?
「自分で子どもを産みたい」というよりは「子育てがしたい」と思っていました。
子どもが好きだったので、今までも友だちの子どもを預かったり、姪っ子や甥っ子のお世話をしていました。
子どもは、最初は私が車椅子に乗っていることに驚いても、そのうち「一緒に縄跳びしよ!」と言ってくるんです。「できない」というと「じゃあ、ここ持っててあげるからさ」と無理矢理にでも遊ぼうとしてきます。
「子どもと毎日一緒に寝る生活ってどんなんだろう」「子育ては大変だけど楽しそうだな」と思っていました。
–伊是名さんが子育てで大切にしてることはありますか?
「1人でやることがいい事だ」と伝えないようにしています。
障害のある私は1人でできないことも多いので「自分のことは自分でやりなさい」というのは違うと思うんです。
私は「助け合う」ことを大切にしたいので、「やりたくない時は『やりたくない、助けて』と言っていいし、どうやったらできるか一緒に考えよう」と伝えています。
例えば、子どもはお弁当箱を洗うのが家での仕事なのですが「今日は洗いたくない」という日も、もちろんあります。そうしたら「傍で見てたら洗える?」「半分だけなら洗える?」と何度も話し合いをしながら、どうしたらできるのかを一緒に考えます。
人はその日の状態でできる日とできない日があるので、話し合いをすることを大切にしています。それが自分を認め、相手も尊重する、いろいろな人に生きやすさにつながると思います。
自分らしく生きていくための性教育
–助けてと言うのって恥ずかしかったりしますよね。伊是名さんは性教育が趣味だそうですが、家庭ではどのような性教育をしていますか?
まず身体を清潔に保つために「プライベートゾーンをきれいに洗おうね」ということからはじめます。
「頭」「お腹」「ペニス」「ワギナ」と身体の全部のパーツを声掛けしてきれいに洗い、「プライベートゾーンは自分だけのものだから、人にさわらせちゃダメだし、あなたも相手のをさわっちゃダメだよ」と伝えます。
赤ちゃんができる仕組みの本もたくさんあるので、それを使ったりします。
それから、性被害に遭わないために「嫌」と言っていいと伝えます。
性被害は知らない人よりも、家族やおじさんおばさん、学校の先生など、知っている人から遭うことが多いんです。
強姦神話
内閣府の平成29年度の調査結果によると、20人に1人は無理矢理性交等をされた経験があり、加害者との関係は「まったく知らない人」が1割です。
性犯罪・性暴力の被害は潜在化しやすく「見知らぬ人からいきなり襲われるものである」「被害に遭う方にも問題・原因がある」などの思い込みがあります。これが「強姦神話」です。
この強姦神話により、性犯罪・性暴力の被害者は社会からも誹謗中傷などの「二次的被害」を受けることがあります。
興味を持ったきっかけ
ーー伊是名さん自身は、どんな性教育を受けてきたんでしょう?
全く受けてこなかったです。
なので小学1年生の時に、たまたまある男の子とキスをした時には「赤ちゃんができちゃう!」と思っていました。
漫画ではキスをしたら次のページでは赤ちゃんができていたりするので、そう思っていたんだと思います。
こうやってきちんと学んでこなくても「どうして赤ちゃんができるのか」「セックスはどうやるのか」は大人になるとなんとなくわかるようになりますよね。
でもそれはドラマなどを見て得た、誤った情報なんですよね。きちんと勉強したことは、23歳くらいまでなかったです。
ーーそもそも伊是名さんはどうして性教育に興味を持ったのでしょう?
23歳の時に、性教育の講演会に行って沖縄の中絶率が高いことを知ったんです。沖縄は全国で一番の貧困率で、教育格差も激しいです。観光客と関係を持つことや米軍基地の問題で性の乱れ起こることがよくあります。
自分が育ってきた場所がそういう場所だったと、その時初めて知りました。
沖縄県における10代の出産割合及び10代の人工妊娠中絶率について
(参照元|沖縄県HP)
それから、デンマークのフォルケホイスコーレではコンドームを配っています。結婚をしないで子どもを産むこともよくありますし、いろいろな家族の形を見てきました。
それで「自分を大切にするってどういうことだろう」と興味を持ち、性教育の勉強を始めました。
「性教育に興味を持ったら、体のことを知るためにまずは婦人科検診に行きましょう」と言われたので、理由を作って産婦人科に行ってみたのですが、私は診察台に乗せてもらえなくて、妊娠検査もしてもらえなかったんです。
普通、生理が来ていないのなら妊娠の可能性があるか検査をするはずですが、医師から私は「この人がセックスしてるわけがない」と思われてしまうんですね。
「障害があると女性として見られにくいんだな」と考えていった時に、今までの性に関する嫌だった記憶がどんどん出てました。検診や骨折の度に、医師の前で裸にされて身体じろじろ見られたり。
日本だと「性教育=セックス、エロティックなこと」と思われがちですが、それだけではなく、自分らしく生きていくための教育です。そのために体の事や、パートナーシップを学ぶんです。これを包括的性教育と言います。
なので、性教育はみんなに大切なことだと思っています。
包括的性教育
性を性交や出産だけではなく、人との関わり方や相手の立場を考えることとしてとらえ、科学・ジェンダー平等に基づく性教育。WHO(世界保健機構)やUNESCO(国際連合教育科学文化機関)から理想的な性教育の指針などがまとめられている。
(参照元|ピルコン)
–今の日本の性教育で、疑問に思ってることはありますか?
もっと自分のことを大切にしてほしいのですが、そのための選択肢が少ないと思っています。
日本人は特に変わることに不安があるんですよね。そうやって今までのやり方を踏襲して、変わろうとする若者を批判したりもします。
違うやり方は批判したくなることもあると思いますが、そうではなくていろんな生き方があることを認めていく方向にシフトしたいですね。
伊是名夏子さんから若者へメッセージ
–最後に、若者に向けてメッセージをお願いします。
私は10代、20代が1番生きづらい時期だと思っています。
「もう高校生なんだから自分のことは自分でしなさい」と言われたと思えば「まだ高校生なんだから親の言うこと聞きなさい」と言われたり、「もう社会人なんだから、これくらいしなさい」と言われたと思えば「まだ新入社員なんだから言うこと聞きなさい」と言われる。
なので、世の中には自分のことをわかってくれる安心できる人は少なくて、自分のことをわかってくれない人の方が明らかに多い気がしてしまうと思います。
でもそれはあなたが悪いわけではなくて、環境や習慣のせいです。
なので周りのアドバイスは半分だけ聞いて、あとは自分のことを大切にしてあげてほしいです。なぜなら、周りは何も責任をとってくれないから。
自分で決めていくのは勇気が必要で難しいことですが、失敗しても大丈夫。失敗したら方向を変えればいいだけで、何回でもやり直せます。
失敗した時に「ほらみろ」と言うのではなくて「別のやり方でやってみよう」と自分にも、相手にもなれたらいいなと思います。
【編集後記】
今回インタビューしたのは伊是名夏子さん。取材中にわかったのですが、伊是名さんと私は同じゼミの出身でした。伊是名さんが語ってくださったように自分を大切にすることはとても大事で、そうすることで相手を大切にする余裕も出てくるのだと思います。
また、伊是名さんに性教育におすすめの本を紹介していただきました。性教育は自分が受けてきていないと、どう伝えたらいのかわからず、恥ずかしいと感じることもあると思います。幼児向けから大人向けまで選んでいただいたので、ぜひ参考にしてみてください。
(編集:佐藤奈摘|Twitter)